つまり、
- 無常相を所縁として無常を随観することで、無相解脱が得られます。
- 苦相を所縁として苦を随観することで、無願解脱が得られます。
- 無我相を所縁として無我を随観することで空解脱が得られます。
無常随観
相とは形、姿などの特徴のことです。つまり凡夫は名色に対して何かしらの形、姿などの特徴をとらえてそれに執着します。この執着から離れるために、固定した相は存在せずに、すべて名色は生滅の変化の流れである(無常である)ことを随観します。
よって無常随観によって得られる解脱を無相解脱と呼びます。
苦随観
名色に対して楽を見るから「欲しい」という願いが生じます。苦随観とは、あらゆる名色は苦のみであるとあるがまま見ることで、それによって名色に対する渇愛という願いを断ち切ります。
よって苦随観によって得られる解脱を無願解脱と呼びます。
無我随観
凡夫は名色の中に「我」という実体があると見て、「これは私だ」とか、「これは私のものだ」というように執着します。無我随観では、名色のどこを探しても我という実体は存在しない、つまり空であると随観します。
よって無我随観によって得られる解脱を空解脱と呼びます。
例えば、登山ルートが3つあっても、結局どのルートも目指す目標は頂上であるように、3つの随観のいずれかの方法で頂上である解脱を目指すイメージです。