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無色界心まとめ

無色界は、物質が全くない心だけの世界でした。

また、生命が存在する3つのレベル
  • 欲界
  • 色界
  • 無色界
のうち、最高位のレベルに位置しています。

無色界心の種類は3つです。
  • 善心
  • 異熟心
  • 唯作心
さらに、これらにそれぞれ4つのランクが存在します。
  • 空無辺処
  • 識無辺処
  • 無処有所
  • 非想非非想処
これで、3×4=12の無色界心がすべて出そろいました。

無色界唯作心

唯作心とは働きだけで結果を生まない心でしたね。

唯作心には大きく分けて2つに分類できます。

1つめのグループは
  • 五門引転心
  • 意門引転心
これらの心は、生命が五感で情報をキャッチするために準備するような心でしたね。

例えば、手に何か触れたとします。

そのとき、もちろん手に身識が生まれるわけですが、そのまえに五門引転心が生まれて情報を受け取る準備をします。

これらは、私たち一般の人間にも生まれる心でしたね。

そして、もう一つのグループが、阿羅漢にしか生まれない心です。

具体的には、
  • 笑起心(無因唯作心)
  • 大唯作心
  • 色界唯作心
  • 無色界唯作心
などがあります。

阿羅漢が瞑想で無色界禅定に入ったときの心が無色界唯作心というわけですね。

阿羅漢とは、4段階の悟りのうち、最高に悟った人のことです。

分け方

無色界唯作心の分け方も他と同じで、次の4つです。
  • 空無辺処
  • 識無辺処
  • 無処有処
  • 非想非非想処
阿羅漢になった人が瞑想して、非想非非想処の禅定に達したとき、そのときの心は無色界唯作心・非想非非想処というわけです。

無色界異熟心

異熟心は、大まかに2つに分けられます。
  • (無因)不善異熟心
  • 無因善異熟心
の2つは、五感で対象を認識するときに生まれる心でしたね。

具体的には、
  • 眼識
  • 耳識
  • 鼻識
  • 舌識
  • 身識
  • 領受心
  • 推度心
などがありました。

その他の異熟心は生まれるときに、結生心としてのはたらきがありました。

具体的には
  • 大異熟心
  • 色界異熟心
  • 無色界異熟心
があります。

これらの心は生まれるときの心であり、その生の基本プログラムとしてもはたらくわけですね。

例えば、無色界異熟心で生まれるという事は、無色界の生命としてその生は生きることになります。

分け方

無色界異熟心の分け方も無色界善心と同じです。

4ランクに分けられます。
  1. 空無辺処
  2. 識無辺処
  3. 無処有処
  4. 非想非非想処
例えば、あなたが瞑想修行して無色界善心・無処有処の心で死んだ場合、次の生は無色界異熟心・無処有処に生まれるというわけですね。

無色界善心

まず、色界心のおさらいからいきましょう。

色界心をつくるためには、色界禅定に入る必要があります。色界禅定に入るためには、サマタ瞑想と言われる瞑想が必要になります。

この瞑想は分かりやすくいうと集中の瞑想ですね。何か一つのもの、に集中するわけですね。

例えば、真っ白の紙に茶色の丸を書いて、その丸をじっと見つめるとかですね。

そして、5つの禅支
  • 一境性
のエネルギーが高まっていき、初禅に入ります。

そして、レベルが上がるごとに禅支が減っていき、第五禅定では一境性だけがのこります。(厳密に言うと楽が消えて、捨の感覚が残ります)

第五禅定はとてもレベルの高い禅定なのですが、それでも対象の物質に依存しているわけですね。

つまり、『ある』ものを対象にした瞑想から、『ない』ものを対象にした瞑想に切り替わるわけです。そこから無色界禅定がはじまります。

空無辺所

空とは何もない空間という意味です。無辺とは限りがないという意味です。

色界禅定に入るためには、ある対象の物質に集中して瞑想する必要がありました。

そこから、無色界善心の一段階目である空無辺所に入るためには、その瞑想対象をはずすという事をします。

はずすと後に残るものは空とういわけですね。その空に対して、さらに瞑想することで空無辺所に入ります。

あまりに一般の認識世界とかけ離れているので、分かりづらいですね^^;

今すぐは必要ない知識かも知れませんが、経典にあるので一応説明しておきます。

識無辺所

識無辺処の
  • 識とは心のこと
  • 無辺とは限りがないこと
  • 処とは状態のこと
です。

心が限りなく広がっている状態というような意味でしょうか。

物質が何もない状態、を対象にして瞑想して到達する状態が無色界善心・空無辺処でした。

次に、空無辺処という状態を対象にして瞑想する事で、識無辺処の禅定に入る事ができます。

無所有処

無処有とは何もないという意味です。

空無辺所のところでも何もないという意味が出てきましたね。

色界善心を起こすには、何か一つの対象、例えば茶色く塗られた丸に心を集中さあせていく瞑想を行います。

言い換えると何か一つの物質(色)を対象として色界善心が生まれます。

そして、その瞑想対象の物質(色)を取り払った状態(空)を対象に瞑想すると、空無辺所という無色界のレベルに達します。

つまり、空無辺処はもともと物質(色)がある事を前提として生まれているわけです。

無所有処は、そういう前提とか抜きにして、本当に何もない状態を意味しています。

非想非非想処

無色界善心の最高のステージが非想非非想処です。

名前もすごいですね^^;

この意味は、心があるでもなくないでもないという意味です。

心があるという事は、生きている事を意味します。
心がないという事は、死んでいる事を意味します。

非想非非想処に達している人は、生きているとも死んでいるとも言えない状態の心が流れている事になります。

無色界心

無色界とは、色界をさらに超えた、心だけの世界です。

人間や動物を見れば分かりますが、心だけ一人歩きしている生命体は一つもありません。

何かしら物質とくっついて生命体を構成しています。

色界ですらそうでした。

素粒子レベルの非常にきめ細やかな物質とはいえ、一応は物質と心がセットで色界の生命体を構成しているのです。

しかし、心のレベルがあまりに高まると、心だけ一人歩きできるようになります。このレベルを無色界といい、このレベルの生命の心を無色界心といいます。

無色界心の種類

無色界心の種類は、欲界善心、色界善心のときと同じで
  • 善心・・・よい心
  • 異熟心・・・生まれ変わりの心
  • 唯作心・・・はたらきだけで結果を生まない心(阿羅漢の心)
の3つです。

意味もこれまでと同じですね。

さらに色界心では、それぞれが
  1. 初禅
  2. 第二禅
  3. 第三禅
  4. 第四禅
  5. 第五禅
というように、5段階にランク分けされていました。つまり色界心は3×5=15の心があるという事です。

無色界心でも似ていて、4つのランクがあります。
  1. 空無辺処
  2. 識無辺処
  3. 無処有所
  4. 非想非非想処
なにやら、色界と比べてややこしい名前になりましたね^^;

ただ、これにも意味があってこういう名前になっています。では順番に見ていきましょう!