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阿羅漢の死

阿羅漢の死ぬ場合も欲界速行意門路の場合と同じく、次の4つのパターンがあります。
  1. 速行 → 涅槃死心
  2. 速行・彼所縁 → 涅槃死心
  3. 速行・有分 → 涅槃死心
  4. 速行・彼所縁・有分 → 涅槃死心

安止速行に入らずに死ぬ場合

阿羅漢を得た人の中でも、禅定を得ていない人は乾観者と言います。

乾観者と、禅定を得た人で臨終時に禅定に入ない人、この2者に関しては、臨終路は意門路欲界速行時分となり、最後に涅槃死心が生じます。阿羅漢ですので、次に結生心が生まれることはありません。

また、通常は臨終路の意門引転心、速行心、彼所縁は業・業相・趣相といった所縁をとりますが、阿羅漢の場合では、普通の路の場合と同じように名色や施設を所縁とします。

さらに、阿羅漢の死心に関しては、直前の生の業・業相・趣相を所縁とします。直前の生の業・業相・趣相とは、今の生で結生する際の、結生心や有分心が所縁としたものと同じものを所縁とするという意味ですね。

安止速行に入って死ぬ場合

阿羅漢が安止速行に入って死ぬ場合次の4種があります。
  1. 禅極無間路・・・入定の終わりに死ぬ路
  2. 観察極無間路・・・禅定から出た後、観察路が生じて死ぬ路
  3. 神通極無間路・・・神通入定の終わりに死ぬ路
  4. 命極無間路・・・阿羅漢に悟った直後に死ぬ路

有分と死

臨終路は、五門路の場合、意門路の場合の2種類あります。これらの場合をもう少し詳しく見てみましょう。

五門路の場合

五門路とは眼・耳・鼻・舌・身門路のことです。臨終路が五門路になる場合、次の4つのパターンが考えられます。
  1. 速行 → 死心
  2. 速行・彼所縁 → 死心
  3. 速行・有分 → 死心
  4. 速行・彼所縁・有分 → 死心
これら4つのうち、臨終路が眼門路であり、1番のパターンの場合、臨終路は以下のようになります。
  • 有分
  • 過去有分
  • 有分動揺
  • 有分捨断
  • 五門引転
  • 眼識
  • 領受
  • 推度
  • 確定
  • 速行×5
  • 結生
  • 有分×15~16
  • 意門引転
  • 求有速×7
  • 有分
ここで、赤字部分は現在生、青字部分は次生を示しています。そして、このときの臨終路は眼門路であるという設定なので、このときの所縁は色所縁(業相)になります。

色所縁ということは17心刹の那寿命がありますから、現在生が終わってもまだ色所縁(業相)は滅さずに残っていることになります。

そこで、次生の結生が引き続き色所縁(業相)を所縁にとって、次生がすぐにスタートします。

結生が生じた後は、有分が15~16回生じ、その後、意門引転心を経て、その生で最初のの速行が生じます。その速行を求有速といいます。

求有速は、
  • 結生心に相応する心所(名)
  • 業生色(色)
を所縁として生じます。

ちなみに求有とは、有を求めると書きますが、有とは生存という意味であり、具体的には上にあげた「結生心に相応する心所+業生色」のことなのです。

つまり、求有とは生存を欲求する渇愛のことで、この渇愛があるため生命は自分のことを愛おしく感じるわけです。

意門路の場合

欲界から欲界に生まれる場合は五門路の場合と同じく次の4つのパターンがあり得ます。

というのも、欲界から欲界に生まれると言うことは、臨終路が意門路欲界速行時分であるわけで、そこには彼所縁が含まれる可能性があります。
  1. 速行 → 死心
  2. 速行・彼所縁 → 死心
  3. 速行・有分 → 死心
  4. 速行・彼所縁・有分 → 死心
また、欲界から大界(色界・無色界)、または大界から欲界に生まれる場合は次の2パターンがあり得ます。
  1. 速行 → 死心
  2. 速行・有分 → 死心
欲界から大界に生まれるとき、臨終路は意門安止速行時分であり、そこには彼所縁は生じません。また、彼所縁は欲界心のみに含まれるので、大界から欲界に生まれるさいに大界の臨終路に彼所縁が含まれることはないのです。

死と結生の順のまとめ

死心次生の結生心次生の世界
無因異熟心の生命が死ぬ場合不善異熟捨俱推度1
善異熟捨俱推度1
2大異熟心8
不善異熟捨俱推度1
善異熟捨俱推度1
10離善地4
欲界善趣地7
11
二因異熟心の生命が死ぬ場合大異熟智不相応心44大異熟心8
不善異熟捨俱推度1
善異熟捨俱推度1
10離善地4
欲界善趣地7
11
欲界三因異熟心の生命が死ぬ場合大異熟智相応心44大異熟心8
不善異熟捨俱推度1
善異熟捨俱推度1
色界異熟心5
無色界異熟心4
19離善地4
欲界善趣地7
色界地16
無色界地4
31
無想有情の生命が死ぬ場合善異熟捨俱推度11大異熟心88欲界善趣地77
色界の生命が死ぬ場合色界異熟心55大異熟心8
色界異熟心5
無色界異熟心4
17欲界善趣地7
色界地15(無想有情天を除く)
無色界地4
26
空無辺処の生命が死ぬ場合空無辺処異熟心11大異熟智相応心4
無色界異熟心4
8欲界善趣地7
無色界地4
11
識無辺処の生命が死ぬ場合識無辺処異熟心11大異熟智相応心4
無色界異熟心3
7欲界善趣地7
無色界地3
10
無所有処の生命が死ぬ場合無所有処異熟心11大異熟智相応心4
無色界異熟心2
6欲界善趣地7
無色界地2
9
非想非非想処の生命が死ぬ場合非想非非想処異熟心11大異熟智相応心4
無色界異熟心1
5欲界善趣地7
無色界地1
8

無因異熟心の生命が死ぬ場合

無因異熟心とはすなわち
  • 不善異熟捨俱推度
  • 善異熟捨俱推度
の2種です。この生命が死ぬと、離善地か欲界善趣地に結生します。

二因異熟心の生命が死ぬ場合

二因異熟心とは大異熟智不相応心4のことです。この生命が死ぬと、離善地か欲界善趣地に結生します。

欲界三因異熟心の生命が死ぬ場合

欲界三因異熟心とは大異熟智相応心4のことです。この生命が死ぬと、すべての地に結生する可能性があります。

色界の生命が死ぬ場合

色界の生命は色界異熟心5が死心となります。この生命が死ぬと、離善地と無想有情天を除くすべての地に結生する可能性があります。

無色界の生命が死ぬ場合

無色界の生命は無色界異熟心4が死心となります。この生命が死ぬと、欲界善趣地か無色界地に結生する可能性があります。

ただし、原則として現在生よりも下の地に結生することはありません。例えば、現在生が非想非非想処だとしたら、次の生で無所有処に結生するということはありません。

無色界結生心の所縁

無色界結生心がとる所縁も、色界と同じく業相のみとなります。しかし、無色界結生心がとる所縁(業相)は、以下の2つに分類されます。
  • 施設所縁
  • 大所縁

第一、第三結生心の場合

無色界には四段階ありますが、第一、第三の無色界の生命として結生する時、結生心はそれぞれ以下の所縁をとります。
  • 第一無色界結生心 → 空施設の業相を所縁にとる
  • 第三無色界結生心 → 無処有処施設の業相を所縁にとる
つまり、このときの業相は施設所縁であるということですね。

第二、第四結生心の場合

第二、第四の無色界の生命として結生する時、結生心はそれぞれ以下の所縁をとります。
  • 第二無色界結生心 → 第一無色心の業相を所縁にとる
  • 第四無色界結生心 → 第三無色心の業相を所縁にとる
つまり、このときの業相は大所縁であるという意味ですね。

色界結生心の所縁

色界禅を得る場合、地遍などの施設を所縁とします。

そして、その後臨終時には、そのときの施設(業相)が所縁として現れます。さらに、次生の色界の結生心も、臨終路と同じ施設(業相)を所縁として生じます。

ここで「業相=施設」ではありません。業相は色、声、香、味、触、法のすべての所縁になりえますが、色界結生の場合は業相は施設所縁として現れるという意味です。

欲界結生心の所縁

欲界結生心の所縁(色)

現世の最後の路である臨終路(意門路)において、17心刹那の寿命がある物質(業相・趣相)が現在所縁として現れて来る場合があります。

このとき、物質の寿命が尽きる前に死を迎えることになります(赤字部分)。というのも、臨終路では図のように速行は5回しか流れず、全12刹那で路が終了するのです。

ということは、残りの5刹那を次の生の結生心と有分心が所縁としてとることになります(青字部分)。

そして、現在生から見れば、このときの物質所縁は現在所縁ということになり、次生から見れば過去所縁という見方になります。

結生心の生起

欲界結生心の所縁

上図は臨終路(最後の路)と最初の路を示しています。死心が滅すると、次の刹那にすぐ結生心が生起します。つまり次の生に即座に生まれるわけですね。

そして、結生心は業・業相・趣相を所縁として生じますが、それらは現在生の臨終路の速行心の所縁と同じものを所縁とします。

例えば、臨終路の速行心が過去になした善行為のイメージを所縁とした場合、次生の結生心も同じ善行為のイメージを所縁とするわけです。

そして、欲界、色界、無色界のいずれかの生命として結生します。

死ぬ瞬間の路

心は必ず路としてセットで生じます。

例えば、眼・耳・鼻・舌・身で所縁をとらえたときに生じる路は五門路と言われ、以下のような流れになります。

五門路

また、心で法所縁をとらえたときに生じる路は意門路と言われ、以下のような流れになります。

明瞭所縁

心とは常に何かしらの所縁をとらえて、路が流れ続けていますから、上2つの図のような波が高速で連続しているわけですね。まるで川の流れのように。

ここで、死ぬ瞬間の最後の路は業・業相・趣相のいずれかを所縁として、善・不善心が速行として流れるわけですが、死心が生じるパターンは以下の4つあります。
  1. 速行 → 死心
  2. 速行・彼所縁 → 死心
  3. 速行・有分 → 死心
  4. 速行・彼所縁・有分 → 死心
欲界の生命には4つのすべてのパターンが生じる可能性があります。

また、欲界路にしか彼所縁は生じないため、欲界から梵天に、梵天から梵天に、梵天から欲界に結生する生命には1、3のパターンのみになります。

死ぬときの心相続

死ぬときに業・業相・趣相といった所縁が現れます。これらの所縁に対して適宜、善心・不善心が生じます。

その時の所縁が例えば、以前動物を殺した時の情景という業相であれば、不善心が生じます。

また、来世得られるであろう天食という趣相が所縁として現れれば、それによって善心が生じます。さらに、ここで生じた不善心・善心は、死ぬまで絶え間なく生じます。

例えば、遠足を楽しみにしている子供は前日からワクワクがずっと続き、逆に、遠足が嫌で仕方がない子供は前日から憂鬱がずっと続くようなものです。

死ぬときの所縁の出現

「死ぬ前に幻覚が見える」と言われますね。実際に、この幻覚とは業・業相・趣相と呼ばれ、死ぬ直前に適宜、所縁として六門に表れます。

つまり、業・業相・趣相が所縁となって見えたり、聞こえたり、匂いがしたり、味がしたり、触れられたり、心で感じたられたりします。

では、業・業相・趣相とは何でしょうか?

以下に順番に説明します。

業が所縁となる場合

来世に結生異熟をもたらし得る、現世または過去世の善・不善業が所縁として感じられます。

業相が所縁となる場合

業相とは、業をなすときに見たり聞いたりしたあらゆる所縁のことです。

さらに業相には
  • すでに得られた業相
  • 手段となった業相
の2種類あります。

例えば、仏に花を供える場合
  • 仏・・・すでに得られた業相
  • 花・・・手段となった業相
となり、仏に花を供えるときの善心に相応する思心所が業になります。

また別の例えでは、動物を刃物で殺す場合
  • 動物・・・すでに得られた業相
  • 刃物・・・手段となった業相
となり、動物を刃物で殺すときの不善心に相応する思心所が業になります。

趣相が所縁となる場合

趣相とは、これから結生するであろう地に得られる、すべての所縁のことです。

趣相にも以下の2種類あります。
  • 得られるべき趣相
  • 受用の趣相
得られるべき趣相とは、これから結生する場所のことで、人間界なら母胎、地獄なら地獄、餓鬼なら森・山・川など、天界なら天界になります。

受用の趣相とは、それぞれ結生した場所で得られる受用物のことで、人間界なら家・建物・従者・野犬などで、地獄なら地獄の炎など、天界なら天女・天食などです。

死の生起

死の生起では、生命がどのような原因によって死ぬかを列挙します。

生命の死は以下の4つの原因によって起こります。
  1. 寿命が尽きること
  2. 業の尽きること
  3. 両者の尽きること
  4. 断業による死

業がつきることとは、先天的に短命な方などが該当します。

また断業による死とは、後天的な条件によって死ぬことです。例えば、自殺、殺される、事故死、後天的な病気などが該当します。