ラベル 6業と輪廻の分析/3業の四集/4異熟処による四業 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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無色界善業

無色界善業とは無色界善異熟を生む業のことです。無色界善業も色界善業と同じく、意業と修習という分類のみになります。

無色界善業は以下の4つです。
  1. 無色界善心空無辺処に相応する思心所
  2. 無色界善心識無辺処に相応する思心所
  3. 無色界善心無処有処に相応する思心所
  4. 無色界善心非想非非想処に相応する思心所
これらが順に無色界異熟心空無辺処などの結生異熟心を生みます。

無色界業による異熟処

無色界業の結生異熟のもたらし方は分かりやすいですね。それぞれが以下のように相応しています。
  • 無色界善心空無辺処を修する → 空無辺処地に結生する
  • 無色界善心識無辺処を修する → 識無辺処地に結生する
  • 無色界善心無処有処を修する → 無処有処地に結生する
  • 無色界善心非想非非想処を修する → 非想非非想処地に結生する

色界善業

色界善業とは色界善異熟を生む業のことです。

色界善業には、身・語・意の3つではなく、ただ意業だけが存在します。また、施・戒・修習という3つではなく、ただ修習のみが存在します。

色界善業は以下の5つです。
  1. 色界善心初禅に相応する思心所
  2. 色界善心二禅に相応する思心所
  3. 色界善心三禅に相応する思心所
  4. 色界善心四禅に相応する思心所
  5. 色界善心五禅に相応する思心所
これらが順に色界異熟心初禅などの結生異熟心を生みます。

色界業による異熟処

弱く修する 中位に修する 強く修する
初禅 梵衆天 梵輔天 大梵天
第二禅 少光天 無量光天 発光天
第三禅
第四禅 少浄光天 無量浄光天 遍浄光天
第五禅 広果天

初禅を弱く修すれば、梵衆天に、中位に修すれば梵輔天に、強く修すれば大梵天に結生異熟をもたらします。

第二禅~第四禅までは同様で、第五禅はどのように修しても広果天への結生異熟をもたらします。

また、第五禅を修する際に、「私たちは心があるから苦しむ、もし心がなく色だけの存在なら苦しみはない」と考え、心を厭う方向に修した場合(修厭離修習)、その人が死ねば心が無い無想有情天に結生します。

不還果を得た人が第五禅を修すれば浄居天に結生しますが、本人が望めば広果天に結生することもできます。不還果が浄居天に結生する場合、その人は五根のうちどの根が強いかによって生まれる天に差が生じます。
  • 信根が優れている → 不捨天に結生する
  • 精進根が優れている → 無熱天に結生する
  • 念根が優れている → 善現天に結生する
  • 定根が優れている → 善見天に結生する
  • 慧根が優れている → 無劣天に結生する

欲界善業

欲界善業は、後に欲界善の異熟を生む業です。 欲界善業も不善業と同じく以下の3つに分類されます。
  • 身業・・・体でなす業
  • 語業・・・言葉でなす業
  • 意業・・・心でなす業
不善業のところでも触れましたが、厳密に言うと
  • 身業とはある特定の行いを体でなしたときの心に含まれる思心所
  • 語業とはある特定の行いを言葉でなしたときの心に含まれる思心所
という解釈です。また、上の3つとは別で、次の3つによる分け方もあります。(福業事)
  • 施・・・施す
  • 戒・・・戒を守る
  • 修習・・・瞑想修行する
これら3つも身、語、意のいずれかによる善業になり、福業事と呼びます。

身業

欲界善による身業は以下の3つです。
  • 離殺生・・・生き物を殺さないこと
  • 離偸盗・・・与えられていないものを盗まないこと
  • 離邪欲行・・・不倫をしないこと
これらは、いずれも悪行為から離れることを意味し、身体で何か行為を起こすわけではありません。ですから、厳密に言うと意業に分類されるべきかもしれませんが、不善の身業から離れるという意味で、こちらを善の身業と分類します。

語業

欲界善による語業は以下の4つです。
  • 離妄語
  • 離離間語
  • 離粗悪語
  • 離綺語
これらも、善の身業と同じくいずれも悪行為から離れることを意味し、身体で何か行為を起こすわけではありません。ですが、不善の語業から離れるという意味で、善の語業に分類します。

意業

欲界善による意業は以下の3つです。
  • 離貪欲
  • 離瞋恚
  • 離邪見

福業事

福業事とは善業をつくる行いのことです。大きく分けて施・戒・修習の3グループ、計10の行いがあります。

まず一つ目の福業事は施です。施とは「ほどこす」という意味ですから、まわりに利得になるものを与えるという意味が含まれています。施はさらに以下の3つに分類できます。

物を施すことです。このとき業となるのは物を施すときの心に含まれる思心所で、さらに次の3つに分類できます。
  • 前思・・・施そうと考えてから施すまでに生じる思心所
  • 譲渡思・・・施している最中に生じている思心所
  • 後思・・・施した後に、思い返して喜びを感じるときに生じる思心所

廻向

善いことをすれば善業がつくられ、将来功徳を期待できます。この功徳を他の生命にも等しく分け与えたいと願って施す行為が廻向です。また、廻向する際に生じる心に含まれる思心所が廻向の業になります。

随喜

他の人が廻向してくれた功徳を受け取って喜ぶことが随喜です。またこのとき生じる心に含まれる思心所が随喜の業になります。

二つ目の福業事は戒です。戒とは戒律を守るという意味で、簡単に言うと悪業を積まないように気を付けるという意味です。戒はさらに以下の3つに分類できます。

持戒

五戒などの戒を守ることです。不善心が生じないように、身業、語業によく気を配ることです。また、このときの心に含まれる思心所が持戒の業になります。

恭敬

徳の高い人や年長者に尊敬して接することです。何も利益を求めずに席を譲ったりするなどが恭敬です。また、このときの心に含まれる思心所が恭敬の業になります。

作務

利益を求めずに他人の用事を手伝うことです。打算のない純粋なボランティアなどが作務に分類されます。また、このときの心に含まれる思心所が作務の業になります。

修習

三つ目の福業事が修習です。修習とは、心を成長させるために瞑想修行にはげむことです。修習はさらに以下の4つに分類できます。

修習

サマタ瞑想、ヴィパッサナー瞑想の修行にはげむことです。修行以外にも仏典を学ぶなど世の中の利得となる知識を勉強する場合も修習に分類されます。また、このときの心に含まれる思心所が修習の業になります。

門法

仏法やためになる教えを打算なく聞くことです。また、このときの心に含まれる思心所が門法の業になります。ちなみに打算的に「あの人、人の話をきちんと聞いてすごいな~と思われたい」なんて思いがある場合は門法になりません。

説法

仏法やためになる教えを打算なく説くことです。また、このときの心に含まれる思心所が説法の業になります。

ちなみに打算的に、「お金をもらえるから説こう」とか「人に尊敬されたいから説こう」などという思いがある場合は説法になりません。

見直業

正見、つまり正しい信念をもつことです。

例えば、仮に有身見が遮断できないにしても、非有見・無因見・非作業見などに従わず、世の中を観察することで業があることをそれなりに確認できるわけですね。

そうすると、智慧が高まり、業のはたらきを信じれるようになります。このときの心に含まれる思心所が見直業になります。見直業は、正見つまり慧に関わる業なので、見直業を含む心は必ず智相応大善心になります。

欲界善業による異熟処

欲界善業は全て合わせると以下の8種類あります。
  1. 大善心・喜倶・智相応・無行に相応する思心所
  2. 大善心・喜倶・智相応・有行に相応する思心所
  3. 大善心・捨倶・智相応・無行に相応する思心所
  4. 大善心・捨倶・智相応・有行に相応する思心所
  5. 大善心・喜倶・智不相応・無行に相応する思心所
  6. 大善心・喜倶・智不相応・有行に相応する思心所
  7. 大善心・捨倶・智不相応・無行に相応する思心所
  8. 大善心・捨倶・智不相応・有行に相応する思心所

結生異熟をもたらすとき

欲界善趣地のみに結生心として大異熟心8を生じさせます。

生起異熟をもたらすとき

欲界善趣地にのみ、彼所縁などのはたらきをする大異熟心8を生じさせます。また、すべての欲界地、色界地において無因善異熟心8を適宜生じさせます。

三因の勝などによる分類

欲界の善い心である大善心と言います。その大善心の前後に生じた心によって、囲まれた大善心も影響をうけます。この事について以下のようなパターンが考えられます。

三因の勝善

まず、三因とは智相応の大善心4のことです。智慧をともなった善い心ですね。この三因大善心の前後を、大善心で囲んだ場合、囲まれた三因大善心はさらに勝れた善心になります。このときの大善心を三因の勝善と言います。

例えば、お布施をするときに、お布施する前から喜びの心が生じ、お布施し終わった後も喜びの心に満ちている状態などですね。

三因の勝善は、結生異熟として智相応大異熟心4(三因)をもたらします。また、生起異熟として大異熟心8、無因異熟心8の計16をもたらします。

三因の劣善

三因大善心の前後を、不善心で囲んだ場合、囲まれた三因大善心は劣った善心になります。このときの大善心を三因の劣善と言います。

例えば、お布施をすることは功徳があると理解はしているものの、何か乗り気がしなくてしぶしぶお布施し、お布施し終わった後も後悔している状態などですね。

三因の劣善は、結生異熟として智不相応大異熟心4(二因)をもたらします。また、生起異熟として智相応を除いた大異熟心4、無因異熟心8の計12をもたらします。

二因の勝善

二因とは智不相応の大善心4のことです。智慧をともなっていない善い心ですね。二因大善心の前後を、大善心で囲んだ場合、囲まれた二因大善心は勝れた善心になります。このときの大善心を二因の勝善と言います。

例えば、お布施がどのような行為かをよく分かっていない子供が、親の見よう見まねで喜んでお布施し、お布施し終わった後も大善心が生まれている状態ですね。

二因の勝善も三因の劣善と同じく、結生異熟として智不相応大異熟心4(二因)をもたらします。また、生起異熟として智相応を除いた大異熟心4、無因異熟心8の計12をもたらします。

二因の劣善

二因大善心の前後を、不善心で囲んだ場合、囲まれた二因大善心は劣った善心になります。このときの大善心を二因の劣善と言います。

二因の劣善は、結生異熟として生来盲目の人や堕処の阿修羅に捨俱推度結生心を生じさせます。また、生起異熟として無因異熟心8のみをもたらします。

欲界不善業

欲界不善業は、後に不善の異熟を生む業です。

具体的には、
  • 身業・・・体でなす業
  • 語業・・・言葉でなす業
  • 意業・・・心でなす業
の3つに分類されます。とは言え、厳密に言うと、業とは速行心に含まれる思心所のことですので、身業、語業と言っても違和感があるかもしれません。

ですので、
  • 身業とはある特定の行いを体でなしたときの心に含まれる思心所
  • 語業とはある特定の行いを言葉でなしたときの心に含まれる思心所
という解釈で大丈夫です。

身業

欲界不善の身業には次の3つあります。

殺生

生き物を殺す行いです。厳密にいうと、
  • 自らの身体で生き物を殺す行為
  • 他に命じて(言葉を使って)生き物を殺させる行為
の2つの行為を起こさせる瞋根心に相応する思心所が、殺生の業になります。

さらに、殺生の業には離善地に結生する業(業道)となる場合とそうならない場合の2種類あります。

離善地に結生する業となる場合は以下の5条件をすべて満たしている必要があります。
  1. 殺生の対象が生き物であること
  2. 殺生の対象が生き物であると分かっていること
  3. 殺生の対象に対して殺意があること
  4. 自分の身体もしくは、他に言葉で命じたりするいずれかのはたらきかけがあること
  5. そのはたらきかけで殺生の対象が死ぬこと
これらの条件の1つでも欠けると業道になはらず、普通の悪業となります。

また、殺生は対象となる生命の大小によって罪の重さが変わります。というのも、大きな生命体ほど多くの命聚(細胞)を持っているので、より罪は重くなります。

また、殺生の対象が、戒を守っているとか徳のある人であるほど罪は重くなり、親や阿羅漢を殺すとなると五無間業になります。さらに、殺す際のはたらきかけが強いほど罪も重くなります。

偸盗

持ち主が与えていないものに対して
  • 自らの身体で盗む行為
  • 他の者に盗ませるように言葉をもって命じる行為
を起こさせる、貪根心・瞋根心に相応する思心所が、偸盗の業になります。偸盗が業道になるための条件は以下の5つです。
  1. 偸盗の対象が他人のものであること
  2. 偸盗の対象が他人のものであると知っていること
  3. 盗む意志があること
  4. 自分の身体もしくは、他に言葉で命じたりするいずれかのはたらきかけがあること
  5. そのはたらきかけによって実際に盗むこと
罪の重さは、
  • 盗品の価値
  • 被害者が戒を守ったり徳があるかどうか
などに左右されます。

邪欲行

正式なパートナー以外との性交のことです。つまり不倫ですね。厳密に言うと、不倫という行為を起こさせる貪根心に相応する思心所が、邪欲行の業になります。

この邪欲行が業道となる条件は以下の4つです。
  • 邪欲行の対象が結婚していること
  • 性交の意志があること
  • 自分の身体によるはたらきかけがあること
  • 性交をすること
邪欲行の罪の重さも対象者が戒を守っているかどうかに左右されます。



以上の三業は、語門にも生じる可能性がありますが、多くは身門を通してなされるので身門業とも言われます。ここでいう身門とは身表と同じ意味です。

語業

欲界不善の語業には次の4つあります。

妄語

妄語とは嘘をつくことです。もっと細かく言うと、間違ったことを言ったり書いたりする行為を起こさせる不善心に相応する思心所が妄語の業です。

妄語が業道(地獄へ結生させる業)になる条件は以下の4つを全て満たす場合です。
  1. 伝える内容が間違っていること
  2. 相手を誤解させたい意志があること
  3. 自分の身体もしくは、他に言葉で命じたりするいずれかのはたらきかけがあるこ
  4. それによって相手が誤った認識をすること
もし、妄語をなしても相手がそれを信じることなく、また何も損害がなければそれは業道になりません。

例えば、あなたの友人があなたに「CD貸して」と言ってきたとします。あなたはそのCDを持っているにも関わらず「ごめん。私そのCD持ってないの。」と答えるとします。

このとき、あなたの友人は何か損害を被ることはないので、あなたの妄語は業道にはなりませんが、悪業であることに変わりはありませんが・・・。

離間語

離間語とは、要するに人を仲たがいさせるようなことを言うことですね。もっと細かく言うと、仲たがいさせることを言う行為を起こさせる不善心に相応する思心所が離間語の業です。

離間語が業道となる条件は以下の4つを全て満たす場合です。
  1. 仲の良い二人がいること
  2. 二人の仲を裂いて自分に好意を向けようという意思があること
  3. 自分の身体もしくは、他に言葉で命じたりするいずれかのはたらきかけがあること
  4. それによって実際に仲が裂かれること
仮に仲が裂かれなくても、業道にならないまでも悪業になります。

粗悪語

粗悪語とは粗悪な言葉で人を罵ることです。もっと細かく言うと、粗悪な言葉を発する行為を起こさせる不善心に相応する思心所が粗悪語の業です。

粗悪語が業道となる条件は以下の3つを全て満たす場合です。
  1. 怒ること
  2. 粗悪語の対象となる相手がいること
  3. 自分の身体もしくは、他に言葉で命じたりするいずれかのはたらきかけがあること
あくまでも他人に不利益を与えることを目的に発する言葉が業道に分類されます。ですので、親や師匠が子供や弟子を叱る行為は、仮にそのときの言葉が粗悪でも、不利益を与えることを目的としていないので業道に分類されません。

綺語

綺語とはただその場だけの無駄話のことです。根も葉もないうわさ話などもこの類ですね。もっと細かく言うと、無益な言葉を発する行為を起こさせる不善心に相応する思心所が綺語の業です。

綺語が業道となる条件は以下の3つを全て満たす場合です。
  1. 発する言葉が無益であること
  2. 自分の身体もしくは、他に言葉で命じたりするいずれかのはたらきかけがあること
  3. その無益な言葉を、聞いた人がまともに受け取ること。
無益であるとは、人が幸せになるために何ら役に立たないという意味です。



以上の四業は、語門に生じるので語門業と言います。そして、語門とは語表と同じ意味です。

また厳密に言うと、妄語、離間語などが身ぶり、手まね、書くことによって表現される場合は身門業になります。ただ、妄語、離間語は多くの場合、言葉によってなされるので語門業に分類します。

意業

欲界不善の意業には次の3つあります。

貪欲

主に他人の持ち物を無理をしてでも欲しいと思う気持ちが貪欲です。厳密に言うと、貪根心8に相応する貪心所が貪欲の業ですね。

貪欲が業道となる条件は以下の2つの条件をすべて満たす場合です。
  1. 他人の持ち物が存在すること
  2. それを自分のものにしたいと強く執着すること
ただ「欲しいな~」と思うだけであれば、悪業に変わりはありませんが業道にはなりません。

瞋恚

ここで言う瞋恚とは、相手の死を願うほど怒ることです。厳密に言うと、瞋根心2に相応する瞋心所が瞋恚の業ですね。

瞋恚が業道となる条件は以下の2つの条件をすべて満たす場合です。
  1. 瞋恚の対象となる生命がいること
  2. その生命の死を望むほどの強い怒りがあること
普通のレベルの瞋恚は業道にはなりませんが悪業になります。

邪見

邪見とは誤った見解を持つことです。厳密に言うと、悪見相応貪根心4に相応する見心所が邪見の業ですね。業道となる邪見の種類は以下の3種です。

非有見(虚無論)

死後に異熟がないという邪見です。異熟がないと言うことは、業が異熟をもたらすということもないことになり、結果的に因果法則を否定したことになります。

ここには死ねば終わりという断見も含まれます。

無因見(偶然論)

ものごとに原因はないと考える邪見のことです。無因見も因果法則を否定した考えです。

非作業見

  • 不善業をつくれば、それにふさわしい不善の結果を受け取る
  • 善業をつくれば、それにふさわしい善の結果を受け取る
という、業のはたらきを認めない邪見です。非作業見も因果法則を否定した考えです。

これらの3つの邪見のいずれかに頑として執着する場合、必ず地獄に落ちることになります。このときの邪見を決定邪見と言います。

また、これらの3つの邪見のいずれかに従っていても、その考えに執着しない柔軟な状態にある人の場合は決定邪見とは言えず、通常の悪見とみなされます。

業の根

欲界不善業のおさらいです。欲界不善業は、以下のように分類されます。
身業 語業 意業
殺生
偸盗
邪欲行
妄語
離間語
粗悪語
綺語
貪欲
瞋恚
邪見
これらの10不善業をここでは根(特性)によって分類します。

瞋根によって生じる

殺生、粗悪語は瞋根心2に相応する思心所です。

火が生じるとき同時に光も生じますが、このとき火は光の俱生縁であると言います。

同じように瞋根心に含まれる瞋根(瞋心所)を俱生縁として、思心所が生じます。また瞋恚はそれ自体が瞋根です。

貪根によって生じる

邪欲行は貪根心8に相応する思心所です。邪見は貪根悪見相応心4に相応する見心所です。

これら2業には貪根が相応しており、貪根の俱生縁の力を借りて生じることができます。また貪欲はそれ自体が貪根です。

2根によって生じる

残りの、偸盗、妄語、離間語、綺語は貪根によっても瞋根によっても生じることがあります。

例えば、自分の欲のために人のお金を盗むのは貪根によるもので、、嫌なことをされた腹いせに相手のものを盗むのは瞋根によるものです。

妄語の場合も、商品を売りたいがために情報を偽装するならそれは貪根によるもので、相手に損害を与えるためにウソの情報を流すならそれは瞋根によるものです。

欲界不善業による異熟処

欲界不善業は全て合わせると以下の12種類あります。
  1. 貪根心・喜倶・悪見相応・無行に相応する思心所
  2. 貪根心・喜倶・悪見相応・有行に相応する思心所
  3. 貪根心・捨倶・悪見相応・無行に相応する思心所
  4. 貪根心・捨倶・悪見相応・有行に相応する思心所
  5. 貪根心・喜倶・悪見不相応・無行に相応する思心所
  6. 貪根心・喜倶・悪見不相応・有行に相応する思心所
  7. 貪根心・捨倶・悪見不相応・無行に相応する思心所
  8. 貪根心・捨倶・悪見不相応・有行に相応する思心所
  9. 瞋根心・憂倶・無行に相応する思心所
  10. 瞋根心・憂倶・有行に相応する思心所
  11. 痴根心・疑相応に相応する思心所
  12. 痴根心・掉挙相応に相応する思心所

結生異熟をもたらすとき

このうち、最後の掉挙を除いた11業が結生異熟をもたらすとき、それは必ず離善地における結生異熟になります。

生起異熟をもたらすとき

また、結生以降を生起と言いますが、上の12不善業が生起異熟をもたらすとき、7つの不善異熟心をすべての欲界地と色界地に適宜異熟させます。