ラベル 7実法のまとめ方/1不善の摂 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 7実法のまとめ方/1不善の摂 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

不善の摂のまとめ

不善心所四漏四暴流四軛四繫四固執六蘊七随眠経の十結論の十結十煩悩
欲漏
有漏
欲暴流
有暴流
欲軛
有軛
貪欲身繫欲貪の蓋欲貪の随眠
有貪の随眠
欲貪の結
色貪の結
無色貪の結
欲貪の結
有貪の結
瞋恚身繫瞋恚の蓋瞋恚の随眠瞋恚の結瞋恚の結
無明漏無明暴流無明軛無明の蓋無明の随眠無明の結無明の結無明
見漏見暴流見軛戒禁取身繫
此実住著身繫

戒禁取
我語取
見の随眠見の結
戒禁取見の結
見の結
戒禁取見の結
慢の随眠慢の結慢の結
疑の蓋疑の随眠疑の結疑の結
嫉の結
慳の結
無慚無慚
無愧無愧
惛沈・睡眠惛沈・睡眠の蓋惛沈
掉挙・悪作掉挙・悪作の蓋掉挙の結掉挙
1433332867810

十煩悩

煩悩という言葉はよく聞きますが、具体的に何を指すのでしょうか?

実は煩悩とは私たち生命の心を汚し、煩わせ、悩ませる不善心所のことを言います。具体的には次の10が相当します。
  1. 貪心所
  2. 瞋心所
  3. 痴心所
  4. 惛沈
  5. 掉挙
  6. 無慚
  7. 無愧
あくまでもお釈迦様が説法の中で代表的な煩悩を10上げただけで、実際は不善心所すべてが煩悩です。これらに関する具体的な説明は、不善心所をご参考くださいね。

論の十結

経の十結に対して、論でも十結が述べられています。根本的には同じですが、若干ニュアンスが違います。

論の十結は以下の通りです。
  1. 欲貪の結(自性は貪心所)
  2. 有貪の結(自性は貪心所)
  3. 瞋恚の結(自性は瞋心所)
  4. 慢の結(自性は慢心所)
  5. 見の結(自性は見心所)
  6. 習性行の把持の結(自性は見心所)
  7. 疑の結(自性は疑心所)
  8. 嫉の結(自性は嫉心所)
  9. 慳の結(自性は慳心所)
  10. 無明の結(自性は痴心所)
自性としては8種類になります。

経の十結

結とは生命を輪廻転生に結び付けているものという意味です。

仏典は大きく分けて
  • 経・・・ストーリー
  • 律・・・出家者の生活規範をまとめたもの
  • 論・・・要点だけをまとめたもの
の3つがあります。このうち経の中で述べられている十結が経の十結です。この他に論の十結もあります。

経の十結は以下の10になります。
  1. 欲貪の結(自性は貪心所)
  2. 色貪の結(自性は貪心所)
  3. 無色貪の結(自性は貪心所)
  4. 瞋恚の結(自性は瞋心所)
  5. 慢の結(自性は慢心所)
  6. 見の結(自性は見心所)
  7. 習性行の把持の結(自性は見心所)
  8. 疑の結(自性は疑心所)
  9. 掉挙の結(自性は掉挙心所)
  10. 無明の結(自性は痴心所)
自性としては、(貪、瞋、慢、見、疑、掉挙、痴)の7つになります。

五下分結

以上のうち、赤字部分の、欲貪、瞋恚、見、習性行の把持、疑の5つを五下分結と呼びます。その理由は、生命を下界(欲界)に結び付けるもので、五下分結がある限り、生命は欲界に転生します。

五下分結が遮断されていない生命は、仮に上二界(色界、無色界)に生まれ変わったとしても、また欲界に転生する可能性があります。

また、これらのうち見、習性行の把持、疑の3結は預流道で遮断されるもので、この3結を遮断しない限り、離善地からも逃れることができません。

さらに、残りの欲貪、瞋恚は不還道によって遮断されます。

五上分結

また、青字部分の、色貪、無色貪、慢、掉挙、無明の5つを五上分結と呼びます。五上分結は生命を上二界(色界、無色界)に結び付けるものです。

不還果に達すれば、五下分結はもう生じないため、欲界に転生することはありませんが、五上分結が残っているために、上二界(色界、無色界)に転生するわけですね。

七随眠(ずいみん)

随眠とは、表面に出てこない潜在的な煩悩のことです。

表面的な心として表れて来ることはないので、普段は感じることができませんが、適当な所縁に出会えばすぐに煩悩として現れて来るものです。

例えば、柿の種には実がなっていませんが、柿の種には柿の実を実らせる潜在的な力がありますね?

このように今は表面化していないけど、機会があれば表面化する可能性のある煩悩の種が随眠です。随眠を取り除くには阿羅漢になるしかありません。

随眠には次の7つあります。

欲貪の随眠

一般的な五欲のもとになる貪心所を生じさせる潜在煩悩

有貪の随眠

色界・無色界に生まれ変わって長生きしたいという貪心所を生じさせる潜在煩悩

瞋恚の随眠

怒りのもとになる瞋心所を生じさせる潜在煩悩

慢の随眠

まわりと比較することでおごり高ぶる慢心所を生じさせる潜在煩悩

見の随眠

邪見のもとになる見心所を生じさせる潜在煩悩

疑の随眠

因果法則に対する疑いのもとになる疑心所を生じさせる潜在煩悩

無明の随眠

無明のもとになる痴心所を生じさせる潜在煩悩

預流果に悟った場合

預流果に悟ると、見の随眠、疑いの随眠がなくなり、以下の随眠が残ります。
  1. 欲貪の随眠・・・一般的な五欲の随眠
  2. 有貪の随眠・・・色界・無色界に生まれ変わって長生きしたいという随眠
  3. 瞋恚の随眠・・・怒りの随眠
  4. 慢の随眠・・・まわりと比較することでおごり高ぶる随眠
  5. 無明の随眠・・・無痴の随眠
一来果では、煩悩が薄まるだけですので、新しく随眠がなくなることはありません。

不還果に悟った場合

不還果に悟ると、貪欲の随眠、瞋恚の随眠がなくなり、以下の随眠が残ります。
  1. 有貪の随眠・・・色界・無色界に生まれ変わって長生きしたいという随眠
  2. 慢の随眠・・・まわりと比較することでおごり高ぶる随眠
  3. 無明の随眠・・・無痴の随眠

阿羅漢果に悟った場合

阿羅漢果に悟ると、全ての随眠がなくなります。随眠は煩悩の種ですから、もう煩悩は生じることはありません。

六蓋(がい)

蓋(がい)とはフタという意味で、良い心が生じる可能性に蓋をするという意味です。

つまり六蓋とは、欲界善心、色界・無色界善心、出世間心というあらゆる善心が生じるのを妨害する6つの蓋のことです。

具体的には以下の6つです。
  1. 欲貪の蓋(自性は貪心所)
  2. 瞋恚の蓋(自性は瞋心所)
  3. 惛沈・睡眠の蓋(自性は惛沈・睡眠心所)
  4. 掉挙・悪作の蓋(自性は掉挙・悪作心所)
  5. 疑の蓋(自性は疑心所)
  6. 無明の蓋(自性は痴心所)
ここで、惛沈と睡眠、掉挙と悪作がそれぞれセットになっていますが、この理由は作用(はたらき)、因(生じる原因)、対治(敵対するもの)がそれぞれ同じであるためです。

それぞれ見てみましょう。

惛沈と睡眠

  • 作用・・・無気力
  • 因・・・懈怠(かいたい:善を修し、悪を断ずることを怠ける心
  • 対治法・・・精進

掉挙と悪作

  • 作用・・・非静寂
  • 因・・・親族、財産、病、戒、邪見
  • 対治法・・・止(サマーディ)

四固執

蛇が蛙をガッチリとらえて離さないように、強く執着している状態が固執です。固執には次の4つがあります。

欲の固執(欲取)

あらゆる欲に対する執着のこと。自性は貪心所。

見の固執(見取)

戒禁取、我語取を除いたあらゆる邪見(誤った考え方)に対する執着のこと。自性は見心所。

習性行の固執(戒禁取)

八正道がない修行で悟れると思っている邪見に執着すること。自性は見心所。

我説の固執(我語取)

我説とは、「自分の説」という意味ではありません。「真我があるという説」という意味になります。つまり、我説の固執とは真我があるという説に強く執着することになります。自性は見心所。

四繫(けい)

繫とは訓読みをすると、「つなぐ」と読みます。

つまり、ここでいう繫とは貪などが生命の名聚(名の集合体)、色聚(色の集合体)を苦の輪廻転生から逃れられないように繫ぎとめる様を表しています。

繫には次の4つあります。

貪欲の聚繫

所縁を欲求することで、その実体は貪根心8に相応する貪心所です。

瞋恚の聚繫

怒りのことで、その実体は瞋根心2に相応する瞋心所です。

習性行の把持の聚繫(戒禁取)

牛や犬などの習性を修行すれば、煩悩が清められて輪廻から解脱できるという考えを持つことを意味します。(中部経典 第57犬行者経 参照)

これはつまり、苦しみの多い畜生の生き方をすることで、借金が早くなくなるがごとく、悪業が早く尽きて、解脱できることを期待したものです。

ここでいう習性行とは八正道がない修行で悟れると思っている邪見のことを指し、あらゆる習慣・文化を含むわけではありません。

実体は見心所。

これが真実であると固執する聚繫

自分の考えは誤り(邪見)であるに関わらず、それが真実だと思い込み、他の考えは皆誤りであると固執する邪見。

実体は見心所。

四軛(やく、くびき)

軛(くびき)とは、2頭の牛の首をつなぎとめておく木のことですが、もともとは「つなぎとめる」という意味があります。

つまり、貪や見などが軛のように生命を苦の輪廻転生につなぎとめるものであるから、こう呼ばれます。

軛にも4つあり、内容は漏・暴流と同じです。
  • 欲軛
  • 有軛
  • 見軛
  • 無明軛
このように、同じ内容を漏・暴流・軛と3つの切り口で説明されているのはお釈迦様が人の理解力に応じて説明の切り口を変えていたからです。

四暴流(ぼる)

暴流とは氾濫した川のような激流を意味します。それはつまり、貪・見・痴なども有情を苦の輪転の中に捉え、離善地まで運び去ることから、こう呼ばれます。

四暴流は以下の4つです。
  • 欲暴流
  • 有暴流
  • 見暴流
  • 無明暴流
内容はそれぞれ四漏と同じですね。

お釈迦様は対機説法というやり方で、同じことを説明するのでも、人によって切り口を変えていました。つまり、スタート(切り口)は人によって変えるけど、ゴール(伝えたいこと)は同じということですね。

そんなわけで、漏という切り口の他に、暴流という切り口もあるわけです。

四漏(ろ)

漏とは、穴から汚いものが漏れている状態を意味しています。

すなわち、貪などの不浄が眼などの六門から漏れる様を、例えて漏と呼びます。

また、漏は強い酒にも例えられ、それにとらわれると私たちは善悪の判断がつかなくなり、結果的に悪業を積むことになります。

漏には次の四つがあります。

欲漏

色・声・香・味・触に対する5欲を欲する渇愛であり、欲漏の実体は貪根心8に対応する貪心所のこと。

有漏

欲漏よりもレベルが高い欲
  • 色界や無色界の梵天として生まれ変わって長生きしたいという欲。
  • 永遠不滅の真我があるという見解に伴う欲。
有漏の実体は、悪見相応貪根心4に相応する貪心所のこと。

見漏

永遠不滅の真我があるという常見や、死んだら全てが終わりで輪廻も何もないという断見のこと。見漏の実体は、悪見相応貪根心4に相応する見心所のこと。

無明漏

四聖諦、縁起などが分からないこと。無明漏の実体は、不善心12に相応する痴心所のこと。