行道智見清浄

道非道智見清浄で、生滅智を育てる刹那随観法という方法が最後に登場しました。その際に、観の汚染によって随観が妨げられるとお話ししました。

しかし、その際に観の汚染を振り切って、さらに三特相を随観し続けると以下の九観智が生じます。この九観智を行道智見清浄と言います。

九観智

壊滅智

生滅智によって引き続き名色の生滅を随観していると、その智は一層強くなります。そして、水面に次々消えていく雨粒を観察するように、名色の壊滅を随観できるようになります。

怖畏智

名色の壊滅を随観し続けると、それらが恐怖に値するものであることが分かるようになります。

「過去の名色はすでに滅した。現在の名色はすでに滅している。未来の名色も滅するに違いない。」と滅することが恐怖であるということを怖畏智によってあるがまま理解します。

過患智、厭離智、脱欲智

怖畏智が生じた者が、さらに名色の随観を続けると、次は名色に対して種々の過患(わずらい)を見る過患智が生じます。

さらに過患智によって名色を随観することで、名色を厭う厭離智が生じます。

さらに厭離智によって名色を随観することで、その名色から脱したいという脱欲智が生じます。

これらは同じ智慧のレベルなので同時に解説しています。

省察智

過患智、厭離智、脱欲智によって名色を随観した上で、名色を再び、無常、苦、無我の三特相で随観することで得られる智慧が省察智です。

この時点で初めて名色への渇愛から抜け出すことができます。

行捨智

名色を所縁としても何の欲も怒りも生じず、平静に見られる智慧が行捨智です。

例えば、子供のころに大好きで執着していたおもちゃも、大人になって改めて見てみると何の関心もわかないようなものです。

随順智

前に生じた八観智に準じて、さらに三特相を随観することによって得られる智慧。

随順智も名色を所縁として生じる智慧ですが、直前にまで迫った涅槃に対して心が傾きます。つまり、涅槃を所縁にとろうとするわけですね。

このようにして随順智が遍作、近行、随順といった近行定として生じます。

つまり、随順智の自性は遍作、近行、随順といった近行定のはたらきをする、智相応大善心4または智相応大唯作心4に相応する慧根心所です。

以上、道非道智見清浄の生滅智から数えて合計で九観智となります。

出起に至る観

行捨智と随順智が十分に熟して頂点に達した場合、これらを合わせて出起に至る観とも呼びます。

出起とは道のことで、「脱出している」のような意味があります。というのも道は名色から脱出しており、また輪廻の苦から脱出しているからです。

種姓心

凡夫と聖者の境目の心のこと。
  • 凡夫の姓とは、有身見・疑をもっている生命のことです。
  • 聖者の姓とは、有身見・疑を捨断した生命のことです。
種姓心とは聖者には達していないけど、次の瞬間には必ず聖者の域に達する心のことです。つまり、次の瞬間に有身見と疑を捨断できる状態にある心が趣姓心と呼ばれます。(預流道の直前)

安止速行路でいうと、随順智が遍作、近行、随順という近行定として生じ、その次の刹那に種姓心という最後の近行定が生じます。そして、その後安止路に入るわけですね。