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欲界善心まとめ

欲界善心は、欲界で生まれるよい心という意味でした。

欲界とは生命レベルの事で、ちょうど私たち人間の生命レベルだと思っていただければ大丈夫です。

厳密に言えば、五感から入る情報に対して欲をつくる生命体のグループと言ったほうがいいかもしれません。

ここには私たち人間、そして動物、鳥、魚、虫など、私たちが知っている生命はすべて含まれます。

他にももっと存在するのですが、別の機会に説明しますので、ここではこの辺にしておきます。

なぜあえて欲界というグループをつくっているかというと、それよりもっと高いレベルの生命が存在するからです。

詳しくは、次の色界心で説明しますね。

さて、お話を戻しますが、欲界善心は3つありました。
  1. 大善心
  2. 大異熟心
  3. 大唯作心
それぞれ
  • 喜びのあるなしで分ける
  • 智慧のあるなしで分ける
  • 意志の強い・弱いで分ける
といった3パターンの分け方がありましたね。

ですから、それぞれ2×2×2=8種類の心があるわけです。

つまり欲界善心には8+8+8=24の心があります。

大唯作心

唯作心とは、はたらきだけがあって結果をつくらない心でした。

私たちが普段、笑ったり、怒ったり、喜んだり、考えたり、しているすべての行動は将来、何かしらの結果をもたらします。

なぜなら私たちが普段つくる心には、次に結果をつくる種が含まれているからです。

この結果をつくるタネを業(カルマ)といいます。まあ、イメージで言うと種みたいなものですね。

いい心にも悪い心にもほぼすべての心に業は含まれています。

という事は、私たちはただ生きているだけで、ちょっと考え事しただけでも、無数の業をつくりながら生きている事になります。

仏教的に言うと、私たちが生まれてくるのも、この業が原因になっているわけですね。(輪廻転生)

さて、悟りには4段階あります。

最高にまで悟った人は、生まれと死のサイクルから抜け出ます。つまり、次に生まれ変わる原因となるような業をつくらないのですね。

ですから、私たち一般の人間とは違う心で生きている事になります。その最高に悟った人の普段の心が大唯作心と呼ばれています。

大唯作心も、これまでと同じように3パターンで8種類に分けられます。

3パターンの分け方

例によって、3パターンで分けられます。
  • 喜びのあるなしで分ける(喜倶・捨倶)
  • 智慧のあるなしで分ける(智相応・智不相応)
  • 意志の強さで分ける(無行・有行)
これらが2種類ずつあるので、2×2×2=8種類となります。
  1. 大唯作心・喜倶・智相応・無行
  2. 大唯作心・喜倶・智相応・有行
  3. 大唯作心・捨倶・智相応・無行
  4. 大唯作心・捨倶・智相応・有行
  5. 大唯作心・喜倶・智不相応・無行
  6. 大唯作心・喜倶・智不相応・有行
  7. 大唯作心・捨倶・智不相応・無行
  8. 大唯作心・捨倶・智不相応・有行
最高に悟った人(阿羅漢)の心なのに、智不相応があるのは少し違和感がありますね^^;

ただ、阿羅漢と言えども、絶え間なく智慧をはたらかせて生きているわけではないという事なのでしょう。

例えば、車の運転でも最初のころは、一つ一つ確認しながら頭を働かせて運転しますね。

でも、慣れてくると、自動反応のように運転するようになります。

阿羅漢は善行為に慣れきっていますので、生きているだけで当たり前のように善行為をするわけですね。

このように、慣れで善行為をするときの心が智不相応だと説明される事もあります。

大異熟心

異熟心とは、過去つくった心の結果として受け取る心でした。

例えば、

眼に好ましくない対象がふれて眼識が生まれたなら、それは過去の不善心(よくない心)の結果として現れたものです。(無因不善異熟心)

眼に好ましい対象がふれて眼識が生まれたなら、それは過去の善心(よい心)の結果として現れたものです。(無因善異熟心)

じゃあ『この大異熟心ってなーに?』という事になるのです。

大異熟心とは無因不善異熟心、無因善異熟心とははたらきが全く違います。

大異熟心とは生まれ変わりの心です。

僕たちは、過去世でつくったよい心の結果として大異熟心をそなえて生まれてきました。人間はたいてい大異熟心で生まれてくるのです。

まれに、身体に生まれつきの障害を持った人は、無因善異熟心で生まれてきます。また、虫とか動物は不善異熟心で生まれます。

つまり、人間として生まれた時点で、すでに恵まれているわけです。

この大異熟心にも8種類あります。分け方は大善心と同じです。

3パターンの分け方

3パターンのわけ方は大善心と同じですので、簡単に説明します。
  • 喜びのあるなしで分ける(喜倶・捨倶)
  • 智慧のあるなしで分ける(智相応・智不相応)
  • 意志の強さで分ける(無行・有行)
それぞれ2つずつありますので、合計次の8つになります。
  1. 大異熟心・喜倶・智相応・無行
  2. 大異熟心・喜倶・智相応・有行
  3. 大異熟心・捨倶・智相応・無行
  4. 大異熟心・捨倶・智相応・有行
  5. 大異熟心・喜倶・智不相応・無行
  6. 大異熟心・喜倶・智不相応・有行
  7. 大異熟心・捨倶・智不相応・無行
  8. 大異熟心・捨倶・智不相応・有行
私たちは、このどれかの心を持ち合わせて生まれてくるのですね。

そして、その心が一生その人の人生に影響します。

喜倶が含まれていれば、喜びが生まれやすい性格になります。智相応なら、智慧がはたらきやすい性格になります。

無行・有行についての説明は見当たりませんね。
私の主観では、意志が強いか弱いかみたいなイメージだと思います。

誤解しない事

大異熟心は生まれ変わりの心でした。その性質によって8つに分けられる事をご説明しました。

ただ、実際は自分がどの心を持ち合わせて生まれたかは分かりません。

それなのに
  • たまたま失敗して、ああ自分は智不相応で生まれたんだ。
  • たまたまうれしい事が続いて、ああ自分は喜倶で生まれたんだ
なんて事を妄想しても意味がないのです。かえってそれは邪見になります。

邪見とは、不善心の要素の一つ(別で説明します)で、仏教ではとくによくないものとして分類しています。

あなたがもし智相応で生まれたとしても、智不相応で生まれたとしても、実はあんまり関係がありません。

というのも、どちらにしてもやる事は変わらないですし、智慧はトレーニングで開発できるからです。もともと細身で生まれても、トレーニングで筋肉ムキムキになれるのと同じですね^^

それに、人間として五体満足に生まれただけでも、少なくとも大異熟心で生まれてきていることは間違いないわけです。それがどれほど恵まれていることか!明るく前向きに精進しましょう^^

大善心

さて、3つある欲界善心の1つ目は大善心です。

大善心の逆は、前にも出てきた不善心ですね。

大というのは、単に数が多いというくらいの意味で、深い意味はありません^^;単に、『善心』と書くと他の表現とごっちゃになるので、区別するためにそうしているのでしょう。

この大善心は私たちも普段感じています。

例えば
  • お年寄りに席をゆずって上げる
  • 友達に誕生日プレゼントを渡す
  • 親孝行で親を旅行につれてってあげる
  • 友達の協力に心から感謝する
  • 病気の人を助けるために調べ物をする
などのときはたいてい大善心で行っています。大善心はもちろんいい心ですから、欲や怒りが含まれる事はありません。

もし、自分の高感度をあげるためにお年寄りに席をゆずったとしたら、それは貪根心で行動した事になります。

大事なのは、何をするかではなく、どんな心で行動するかです。

さて、大善心は不善心と同じように3パターンの分け方があります。
  • 喜びがあるかないかで分ける
  • 意志が強いか弱いかで分ける
  • 知恵がともなうかともなわないかで分ける
では、順番に見ていきましょう。

喜びの有無でわける

  • 喜びがある場合、喜倶
  • 喜びがない場合、捨倶
といいます。

例えば、人の苦しみを救うために心理学の勉強をするとします。

そのときに、『ああ理解できて楽しいな~』と感じたなら、喜倶ですね。ただ、平常心でたんたんと勉強にはげむとしたら、捨倶になります。

ちなみに大善心はいい心なので、苦しみはともなう事がありません。

意志の強さでわける

  • 意志の強い場合を、無行
  • 意志の弱い場合を、有行
といいます。

無行・有行は不善のところでもやりましたね。他からの働きかけがなく自発的にやる場合(無行)は、意志が強いわけです。

例えば、心理学の勉強をする場合、
  • 『人を救うために誰がなんと言おうと勉強するぞ』という場合は無行
  • 『まあ友達に誘われたから勉強会に出てみるか』という場合は有行
というイメージです。

智慧のあるなしで分ける

  • 智慧がある場合は、智相応
  • 智慧がない場合は、智不相応
という区別になります。

ここで智(ち)というのは智慧の事で、痴(ち)と書くと逆の無知という意味になるのでお気をつけて^^;

また心理学の勉強をする例で確かめてみましょう。
  • 世の中に苦しんでいる人がたくさんいる
  • その人たちがどんな事で苦しんでいるか?
  • その人たちを救うために心理学をどのように活用できるか?
  • その活動は自分にどのような幸せをもたらしてくれるか?
などを、よく理解して心理学を勉強している場合は智相応と言えるでしょう。

逆に、『よく分かんないけど、何となく世の中のためになりそうだし』という理由で心理学を勉強するなら智不相応という分類になります。

まとめ

大善心は、3パターンでそれぞれ2つずつに分けれましたので、2×2×2=8つの大善心があります。
  1. 大善心・喜倶・智相応・無行
  2. 大善心・喜倶・智相応・有行
  3. 大善心・捨倶・智相応・無行
  4. 大善心・捨倶・智相応・有行
  5. 大善心・喜倶・智不相応・無行
  6. 大善心・喜倶・智不相応・有行
  7. 大善心・捨倶・智不相応・無行
  8. 大善心・捨倶・智不相応・有行
大善心としてのエネルギーの強さは、1番が1番強くて下に行くほど弱くなるイメージです。

欲界善心

欲界善心とは、不善心の反対で、いい心という意味ですね。

なにをもっていい心というかというと、将来の善(幸せ)のタネになる心という事ですね。

逆に言うと、不善(不幸)のタネがない心とも言えます。

おさらいですが、不善(不幸)のタネとは
  • 貪(欲)
  • 瞋(怒り)
  • 痴(無知)
の3つでした。

逆に、善(幸せ)のタネとは
  • 不貪(欲ばらない)
  • 不瞋(怒らない)
  • 不痴(知恵がある)
という3つでしたね。

さて、もう一つ欲界という言葉があります。

これは、単純に私たちの住む世界だと思ってください。

それ以外に何があるんだ!?

と言われそうですが・・・

仏教では、私たちの住む世界以外にもいろんな生命体の世界があると説明しています。世界と言うと誤解を生みそうですので、生命レベルとでも言った方がいいかもしれませんね。

たとえば、あなたとバッタの生命レベルは同じでしょうか?

バッタには家といえるものはなく、食べ物も保証されておらず、いつも外敵に食べられる心配がある世界に住んでいます。

一方、おそらくあなたは家も食べ物もあり、日常生活をしていれば誰かに殺される心配もあまりないでしょう。

そう考えると、あなたはバッタよりかなり幸せな生命レベルの世界に住んでいる事になります。

とは言え、人間界がもっとも生命レベルが高いのでしょうか?

仏教的に言うと、もっと高い生命レベルの生命体もたくさんいます。

そういうレベルの生命体の心は、私たちは日常生活ではつくることができません。バッタに『思いやりを持て!』と言っても、簡単にはできないのと同じです。

このように、私たち人間が日常つくれるいい心が欲界善心になります。