異熟時による四業

私たちは何か見たり聞いたりしたときに、心が生まれます。このときの心の流れを五門路といいます。

五門路は17の心が1セットになっているわけですが、そのうち7つ速行心が生じます。17の心の中でも、この速行心はエネルギーが強く、速行心に含まれる思心所のことをいわゆる業と呼びます。

ただし、7つの速行心のうちすべてが同じように異熟をもたらすわけではありません。ということで、異熟時による四業ではどの速行心がどのような異熟をもたらすのかについて分類します。

現法受業

7つの速行心のうち、最初の速行心が異熟をもたらすとき、必ず現世で異熟をもたらします。このように現世で異熟をもたらす業を現法受業と言います。

通常、速行心は、前の速行心の勢いに影響されます。

例えば、難しい本でも繰り返し学習すれば理解できるようになるようになりますね。このように同じはたらきを繰り返すことでその力がどんどん強くなるのは習行縁によるものです。

しかし、一つ目の速行心は前に速行心がなく、習行縁の助けを得られません。そのため、後に続く6つの速行心よりもエネルギーが弱く、現世のみにしか異熟をもたらせません。

エネルギーの弱い人が投げたボールは遠くまで届かないみたいなイメージですね。

次生受業

次の生(来世)に異熟をもたらす業を次生受業と言います。

ここで言う異熟とは
  • 結生心を異熟させる結生異熟
  • 眼色、心色、性色などを異熟させる生起異熟
の両方、またはどちらかのことを指します。

速行心は7回生じますが、前の速行心の影響を受けて次第にエネルギーが強まっていきます(習行縁)。つまり、1つ目の速行心が一番エネルギーが弱く、7つ目の速行心が一番エネルギーが強いわけですね。

業とは完全なものほど来世に結生異熟をもたらし、不完全なものは現世や後々世に異熟をもたらす性質があります。

このことから、7つ目の速行心は最もエネルギーが強く完全な業であるため、来世に異熟をもたらします。厳密にいうと、7つ目の速行心に含まれる思心所が次生受業です。

後後受業

後後受業とは、後後世(再来世)以降、涅槃を得るまでの間に異熟をもたらす業のことです。最初と最後の速行心を除いた残りの5つの速行心に含まれる思心所(速行思)のことですね。

さて、ここで一つ重要なことがあります。

それは、一つの路にある7つの速行思は、ただ一つの結生異熟しかもたらせないというものです。

簡単に言うと、7つのうちどれかが結生異熟をもたらした場合、その他の速行思は結生異熟はもたらせないわけですね(その他の異熟はもたらせる)。

これまでのおさらいですが、来世以降に結生異熟をもたらしうる業は
  1. 最後の速行思
  2. 中間の5つの速行思
ですね。

一つ目の速行思は現法受業であり、来世以降に異熟をもたらせないのでここではカットです。

さて、もし1が結生異熟をもたらす場合、必ず来世に結生異熟をもたらします。この場合、2は後後世(再来世)以降に結生異熟をもたらすことはできません。

逆に、2が後後世(再来世)以降に結生異熟をもたらすためには、1が業のはたらきを失ったときです。

このように、業として後に異熟をもたらす機会を失った業を既有業と言います。

既有業

業として後に異熟をもたらす機会を失った業を既有業と言います。

例えば、最初の速行思は現世に異熟をもたらす業ですが、異熟がもたらされる前に死んでしまったら、その業は機会を失ってしまいます。

例えば、五無間業のすべてをおかした場合、いずれかの業によって来世では必ず無間地獄に生まれます。

しかし、他の4つの業は無間地獄への結生異熟をもたらせないので、既有業となります。

一般的に分かりやすく言うと、
  • 盗みをしても捕まる前に死んでしまうこともあります。
  • 一生懸命働いてもお金をもらう前に死んでしまうこともあります。
このように考えると、本来現世で異熟するはずのことが異熟しないことはよくあることなのです。だからと言って、悪いことをなしても平気、善いことをしても無駄と考えるのは愚かです。

なぜなら、私たちが現世でなした善いこと悪いことが、現世でどう異熟するか・しないかなど分かるはずもないからです。

しかし一つだけ確実に言えることは、善いことをすれば善の業をまき、悪いことをすれば悪の業をまくことになります。

それらの業は、土の中に隠れて見えない雑草の種のように、いつでも異熟する機会をうかがっているのです。