無量心所

無量心所とは、限りなく広がる心所という意味です。

無量心所はあらゆる生命を対象にして生まれる心所で、ぜんぶで4つあります。
これらのうち、慈=無瞋なので、ここでの分類には登場しません。また、捨も中捨と同じものなので、これもここでの分類に登場しません。

ですから、ここでは
の2種類の心所を無量心所として取り扱うことになります。

悲(ひ)

悲とは苦しんでいる生命が、その苦しみから逃れて欲しいと願う気持ちのことです。

ですから、悲が生まれるためには、苦しんでいる生命という概念(イメージ)が必要になります。

この悲とは一般的に言う『かわいそうに』という意味とは違います。

例えば、骨折で入院した人を見て『かわいそうに』と思ったとします。このとき、多くの人は内心このように思うのです。

『ああ、私がこの人の立場じゃなくてよかった。』と。

この場合、
  • 私が骨折するのはイヤだ
  • この人が骨折するのはOK
という相手に対する害意が含まれています。つまり瞋根心が生まれていると判断します。

悲とは、
  • 私がこの人の立場じゃなくてよかった ではなく
  • この人が苦しみから救われてほしい なのです。
逆のエネルギーなのですね。

喜(き)

喜とは幸せ生命に対して、その幸せが続いて欲しいと願う気持ちのことです。

ちなみに、この場合の喜はパーリ語でmudita(ムディタ)といいます。

また、以前に出てきた雑心所の喜はpiti(ピーティ)といいます。ですから、漢字は一緒ですが、まったく別物です^^;

この喜はまた、一般的に人に対して『よかったね~』という場合とは違います。

例えば、友達が新居に引っ越して、『よかったね~』と祝福する場合をイメージしてください。このとき内心ではこのように思っていたりします。

『ああ、自分もこんなところに住みたいな~』と。

この場合は、うれしいきもちで祝福しているように見えますが、実は貪根心・喜倶が生まれていると判断します。

喜とは
  • 私が幸せになりたい ではなく
  • この人がずっと幸せであってほしい という気持ちです。
逆のエネルギーですね。

まとめ

無量心所は、あらゆる生命を対象として、限りなく育てていけるよい心所のことでした。

本来は、
4つを四無量心としてまとめるのですが、慈は無瞋、捨は中捨と同じなので、ここでは残りの2つ悲・喜を扱いました。

これらは同時に生まれないのが特徴です。

というのも、悲は苦しんでいる生命を対象に生まれますし、喜は幸せな生命を対象に生まれるからです。