大異熟心

異熟心とは、過去つくった心の結果として受け取る心でした。

例えば、

眼に好ましくない対象がふれて眼識が生まれたなら、それは過去の不善心(よくない心)の結果として現れたものです。(無因不善異熟心)

眼に好ましい対象がふれて眼識が生まれたなら、それは過去の善心(よい心)の結果として現れたものです。(無因善異熟心)

じゃあ『この大異熟心ってなーに?』という事になるのです。

大異熟心とは無因不善異熟心、無因善異熟心とははたらきが全く違います。

大異熟心とは生まれ変わりの心です。

僕たちは、過去世でつくったよい心の結果として大異熟心をそなえて生まれてきました。人間はたいてい大異熟心で生まれてくるのです。

まれに、身体に生まれつきの障害を持った人は、無因善異熟心で生まれてきます。また、虫とか動物は不善異熟心で生まれます。

つまり、人間として生まれた時点で、すでに恵まれているわけです。

この大異熟心にも8種類あります。分け方は大善心と同じです。

3パターンの分け方

3パターンのわけ方は大善心と同じですので、簡単に説明します。
  • 喜びのあるなしで分ける(喜倶・捨倶)
  • 智慧のあるなしで分ける(智相応・智不相応)
  • 意志の強さで分ける(無行・有行)
それぞれ2つずつありますので、合計次の8つになります。
  1. 大異熟心・喜倶・智相応・無行
  2. 大異熟心・喜倶・智相応・有行
  3. 大異熟心・捨倶・智相応・無行
  4. 大異熟心・捨倶・智相応・有行
  5. 大異熟心・喜倶・智不相応・無行
  6. 大異熟心・喜倶・智不相応・有行
  7. 大異熟心・捨倶・智不相応・無行
  8. 大異熟心・捨倶・智不相応・有行
私たちは、このどれかの心を持ち合わせて生まれてくるのですね。

そして、その心が一生その人の人生に影響します。

喜倶が含まれていれば、喜びが生まれやすい性格になります。智相応なら、智慧がはたらきやすい性格になります。

無行・有行についての説明は見当たりませんね。
私の主観では、意志が強いか弱いかみたいなイメージだと思います。

誤解しない事

大異熟心は生まれ変わりの心でした。その性質によって8つに分けられる事をご説明しました。

ただ、実際は自分がどの心を持ち合わせて生まれたかは分かりません。

それなのに
  • たまたま失敗して、ああ自分は智不相応で生まれたんだ。
  • たまたまうれしい事が続いて、ああ自分は喜倶で生まれたんだ
なんて事を妄想しても意味がないのです。かえってそれは邪見になります。

邪見とは、不善心の要素の一つ(別で説明します)で、仏教ではとくによくないものとして分類しています。

あなたがもし智相応で生まれたとしても、智不相応で生まれたとしても、実はあんまり関係がありません。

というのも、どちらにしてもやる事は変わらないですし、智慧はトレーニングで開発できるからです。もともと細身で生まれても、トレーニングで筋肉ムキムキになれるのと同じですね^^

それに、人間として五体満足に生まれただけでも、少なくとも大異熟心で生まれてきていることは間違いないわけです。それがどれほど恵まれていることか!明るく前向きに精進しましょう^^