無因善異熟心

好ましくないものを見たり・聞いたりしたときに生まれる心が(無因)不善異熟心でした。

逆に、好ましいものに触れて生まれる心が無因善異熟心です。

内容は不善異熟心とよく似ています。
  • (無因)善異熟心・捨具・眼識
  • (無因)善異熟心・捨具・耳識
  • (無因)善異熟心・捨具・鼻識
  • (無因)善異熟心・捨具・舌識
  • (無因)善異熟心・楽具・身識
  • (無因)善異熟心・捨具・領受心
  • (無因)善異熟心・喜具・推度心
  • (無因)善異熟心・捨具・推度心
推度心が一個ふえていますね^^

身識も不善異熟心のときは苦倶でしたが、無因善異熟心では楽倶になっています。

ちなみに、不善異熟心は無因心しかありませんので、不善異熟心と言った時点で無因心のものと分かります。

ただ、善異熟心の場合、無因善異熟心、大善異熟心の2種類があります。そのため”無因”善異熟心と”無因”をつけて区別します。

さて、では順番に見ていきましょう!

捨倶・眼識(耳識、鼻識、舌識)

過去につくった善心の結果として生まれる、好ましいものを見る瞬間の心が(無因)善異熟心・捨倶・眼識です。

ここでいう好ましいかどうかは個人の好みの事ではありません。

生命体としてそれが好ましいかどうかで判断します。

例えば、生ゴミを見る事は好ましくありません。不衛生で汚いですからね。

でも、優しい顔をした人を見るのは好ましいと判断します。生命体を幸せな気持ちにさせるキッカケになるからです。

流れとしてはこんな感じです。
  1. 好ましい対象が眼に触れる(捨倶・眼識)
  2. その情報を脳が受け取る
  3. それが何かを脳が調べる
  4. それが何かを脳が決定する
  5. 脳が決定した事に対して、妄想する
  6. うれしい気分になる
うれしく感じるのは6番目の段階ですので、眼に情報が触れた直後は喜びも苦しみもありません。つまり、捨倶という事です。

耳識、鼻識、舌識に関しても同じで、
  • 好ましいものを聞く瞬間の心が耳識
  • 好ましいものを嗅ぐ瞬間の心が鼻識
  • 好ましいものを味わう瞬間の心が舌識
という分類になります。

楽倶・身識

さて、次は身識(触覚)です。身識だけ楽倶となっていますね。

ここでも流れを見てみましょう。
  1. 好ましい対象が体に触れる(楽倶・身識)
  2. その情報を脳が受け取る
  3. それが何かを脳が調べる
  4. それが何かを脳が決定する
  5. 脳が決定した事に対して、妄想する
  6. うれしい気分になる
眼識の場合、眼に対象が触れた瞬間は、痛いとか気持ちいいとかいう感覚は何も感じませんでした。

なぜなら眼に触れるものは光だからです。
  • 太陽の光が机に当たる
  • その光が反射する
  • 反射した光を眼がキャッチする
事で机が見えるのですね。しかし身識の場合、対象が触れた瞬間に、痛みとか気持ちよさを感じます。

科学的に言うと、この感覚は痛点で生まれるわけです。そして痛点で生まれるこの感覚は、自分の意思とは関係なしに、自動反応のように生まれます。

今回は、触れる対象が好ましいものですので、痛みや苦しみをともないません。よって、楽倶となるわけです。

捨倶・領受心

不善異熟心でも登場しましたが、領受心とは脳が情報を受け取るというはたらきでした。

無因善異熟心でも同じです。対象が、好ましいか好ましくないかの差ですね。

流れを確認しましょう。
  1. 好ましい対象が眼に触れる
  2. その情報を脳が受け取る(捨倶・領受心)
  3. それが何かを脳が調べる
  4. それが何かを脳が決定する
  5. 脳が決定した事に対して、妄想する
  6. うれしい気分になる
情報を脳が受け取るだけなので、これも不善異熟心のときと同じで捨倶になります。

推度心(捨倶・喜倶)

無因善異熟心の推度心は、不善異熟心の場合と同じく、情報を調べるはたらきがあります。

また流れを見てみましょう。
  1. 好ましい対象が眼に触れる
  2. その情報を脳が受け取る
  3. それが何かを脳が調べる(推度心)
  4. それが何かを脳が決定する
  5. 脳が決定した事に対して、妄想する
  6. うれしい気分になる
領受心とは、役所の受付のようなイメージで、郵便やさんから封筒を受け取るわけです。

でも、受付が封筒をビリビリやぶいて、中身を確認する事はありませんね。

じゃあどうするかというと、担当にその封筒を渡すのです。そしてその担当が封筒をやぶって中を確認します。

この封筒の中身を確認する担当が、推度心です。

ただ、不善異熟心の場合と違うのは、中身を調べるときの感覚が捨倶のときと、喜倶のときの2パターンある事です。

『これは何だろな?』と担当が封筒を開けたときに、
  • 中身が単なる広告だったら、『ふ~ん』くらいにしか思いません。(捨倶)
  • 中身が愛情たっぷりの手紙だったら、うれしくなります。(喜倶)
おさらいですが、無因善異熟心は善心の結果として生まれる心なので、好ましい情報を受け取るというのが前提です。

まとめ

無因善異熟心とは、以前につくった善心(よい心)の結果、好ましいものに触れて生まれる心の事でした。

好ましいとは、個人的な好みではなく、生命体として好ましいかどうかで判断します。

例えば、不衛生な生ゴミは好ましくありませんね。逆に、心が癒される小川のせせらぎは好ましいでしょう。

具体的には8つありました。
  1. 好ましいものを見た瞬間に生まれる心が、(無因)善異熟心・捨倶・眼識
  2. 好ましいものを聞いた瞬間に生まれる心が、(無因)善異熟心・捨倶・耳識
  3. 好ましいものを嗅いだ瞬間に生まれる心が、(無因)善異熟心・捨倶・鼻識
  4. 好ましいものを味わった瞬間に生まれる心が、(無因)善異熟心・捨倶・舌識
  5. 好ましいものに触れた瞬間に生まれる心が、(無因)善異熟心・楽倶・身識
  6. それらの情報を脳で受け取る心が、(無因)善異熟心・捨倶・領受心
  7. 受け取った情報を調べる心が、(無因)善異熟心・捨倶・推度心
  8. または、(無因)善異熟心・喜倶・推度心
という分類でしたね。

ザックリ説明すると、五感から脳へ好ましい情報を伝達する心の集まりという表現になるかもしれません。

以上で、(無因)善異熟心8つは終わりです。