戒清浄(戒)

身業、語業、意業が悪方向に向かないように気を付けることが戒清浄です。戒清浄は次の3つあります。

根の防護という戒

眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根という六根を守り不善が生じないようにすること。この戒では、念(サティ)が基礎になります。

生活の清浄という戒

信者から布施をもらうために、わざわざ気を使ったりして布施するように仕向けることなく、清浄な方法で得た者だけによって生活すること。この戒では、精進が基礎になります。

四資具に依止という戒

衣服、食物、住居、医薬の四資具に、目的をきちんと理解したうえで正しく依存すること。

つまり、修習を促進するために依存するのであって、欲を貪るために依存するわけではないと理解して受用すること。この戒では、慧が基礎になります。

瞑想対象の種類

瞑想とは心を育成するトレーニングのことです。

俗世間的な例えで言うと、ネガティブな人ががんばってポジティブに考えられるようになったとします。

このとき、その人の心は成長したわけですね。

なぜならポジティブ思考を身に付けることで幸せでいられる時間が長くなるからです。

さらに仏教では、「もうこれ以上幸せになれない!」という極限の状態を目指してトレーニングします。

その極限の幸せの状態が涅槃であり、そのためのトレーニングが瞑想です。

瞑想には2種類あります。

止修習

私たちを苦しめる妄想や煩悩などのはたらきを止めて、一時的に悟りの状態を作り出すトレーニングが止修習です。

止修習の主役(自性)は、世間善心・唯作心と相応する一境性心所です。

観修習

すべての名色を、
  • 無常
  • 無我
  • 不浄
であると見る智慧を育てるのが観修習です。

観修習の主役(自性)は、大善心・大唯作心と相応する慧根心所です。

相で分類する

三相

止の瞑想の対象は、次にあげる三相に分類することができます。

遍作相

最初に止の瞑想をするときに所縁となるものが遍作相と呼ばれます。つまり遍作修習において最初に所縁となるものが遍作相です。

例えば地遍を修習する場合、まず目の細かいきれいな土で直径30cmくらいの円(地遍)をつくります。

その地遍から120cmくらい離れて座って、地遍を凝視しながら「地」「地」と念じます。その時に、時には地遍を凝視し、時には眼を閉じて心の中で思い浮かべます。

このときの所縁が遍作相であり、このときの修習が遍作修習です。

取相

さらに遍作相を修習すると、眼を閉じても、まるで眼を開けているときのように地遍が所縁としてはっきりと心に表れて来るようになります。このときの所縁が取相です。

また、このときの修習も遍作修習なのですが、遍作相を所縁としているときよりもより修習の度合いが深まっています。

似相

さらに取相を修習すると、取相と形も大きさも等しく、取相よりもより清らかな所縁が心に現れてきます。

遍作相、取相はもともと土でつくられた地遍によってできた、いわば色(物質)に依存した所縁でした。

しかし、似相になると完全に色から切り離された、修習の力によってできた施設になります。そして、似相を所縁としたときの修習が近行修習です。

さらに、似相を所縁として近行修習を続けると、色界初禅が安止した安止修習という状態に達します。

色界禅の生起

止の瞑想をするにあたって、所縁は
  • 遍作相
  • 取相
  • 似相
といった3つの段階を経ます。例えば、地遍を修習して色界初禅に至る場合、次のような流れになります。
  • 地遍 - 遍作相 - 遍作修習
  • 地遍 - 取相 - 遍作修習
  • 地遍 - 似相 - 近行修習
  • 地遍 - 似相 - 安止修習(色界初禅)
さらに、色界第二禅を目指す場合は、色界初禅に自分の思いのまま入ったり出たりできるように訓練する必要があります。(五自在)

色界初禅において五自在を得て、第二禅を目指すとき、初禅の時に所縁とした似相を続けて所縁として修習します。例えば、地遍の場合は次にようになります。
  • 地遍 - 似相 - 遍作修習
  • 地遍 - 似相 - 近行修習
  • 地遍 - 似相 - 安止修習(色界第二禅)
以降、同じように色界第五禅まで得られます。そして、似相は
  • 十遍10
  • 十不浄10
  • 身起念1
  • 出入息念1
の22の止の修習において得られます。

五自在

色界初禅から色界第二禅に、色界第二禅から色界第三禅にというように次のステージの禅定に達するには、まず今いるステージの禅定を自在にコントロールできなければなりません。

このとき5つの自在が必要であると言われます。その5つとは以下の通りです。

引転自在

出定した後、すぐに五禅支(尋、伺、喜、楽、一境性)に心を引転できること。

入定自在

禅定に入りたいときは、自分の思いのまますぐに禅定に入れること。

在定自在

自分が望む時間をずっと禅定に入っていられること。

出定自在

自分が予め予定していた時間の通りに禅定から出られること。

観察自在

五禅支を自在に観察できること。引転自在を得たならば自動的に観察路が生じるので観察自在も得られます。

無色界禅の生起

十遍のうち虚空遍を除いた九遍に対し、それが無い状態(空施設)を念じます。これが、初無色界の遍作修習です。

さらに修習を続けると、色界第五禅に対する欲求がなくなって近行修習に達します。

その後さらに修習を続けると、初無色界である空無辺処定(安止修習)に達します。
  • 空施設 - 遍作修習
  • 空施設 - 近行修習
  • 空施設 - 安止修習(空無辺処)
さらに、その初無色界識(初無色界善心)を所縁として、「無辺である」と念じることで、第二無色界識である識無辺処に達します。

さらに、初無色界識(初無色界善心)が無であることに対して「何もない」と念じることで、第三無色界識である無所有処に達します。

さらに、その第三無色界識を所縁として、「これは寂静である。」と念じることで、第四無色界識である非想非非想処に達します。

神通の生起

色界第五禅に達して、定力が強くなって明瞭になると、色界第五禅心に相応している慧が神通を得られる状態に達します。

過去世で神通を得るにふさわしい徳を積んだ人に関しては、阿羅漢道に達したり第五禅に入るだけで神通を得られることもあります。

しかし、それ以外の人に関しては、まず色界禅、無色界禅の計9つの禅定を全てマスターする必要があります。

そして、
  • 色界初禅 → 入定 → 出定
  • 色界第二禅 → 入定 → 出定
  • ・・・
というように、順番に禅定に入っていき、無色界第四禅に達したら、逆に
  • 無色界第四禅 → 入定 → 出定
  • 無色界第三禅 → 入定 → 出定
  • ・・・
というように、順番に下っていきます。そのように、9つの禅定に対して五自在を得ることによって、神通を得られるようになります。

まとめますと、
  • 神通は色界第五禅心のある特殊な状態である。
  • 色界第五禅に入ったからといって神通に入れるわけではない。
  • 多くの場合、神通に入るには色界、無色界の計9禅において、五自在を得る必要がある。
ということになります。

神通の種類

神通には以下の5種類あります。

神変

「百になろう。」「千になろう。」などと思えば、その数に自分の分身を化作できる能力。分身の術みたいな感じですかね。

天耳

遠くの声や小さな声など、通常の生命には聞き取れない声を聴く能力です。

他心知

他人の心を手に取るように理解できる能力です。

宿住随念

過去生の出来事や考えなどを知ることができる能力です。

天眼

通常肉眼では見えない、非常に遠くのものや、微小な色を見ることができる能力です。

修習で分類する

修習の段階で瞑想対象を分類

ここでの修習とは禅定に入る前段階の状態を指します。修習には次の3つのレベルがあり、40の止の修習において、それぞれ到達できるレベルが異なります。

遍作修習

修習の第一段階の状態が遍作修習です。

この状態を得るには、例えば地遍を対象に修習する場合、まず目の細かいきれいな土を直径30cmくらいの円形(地遍)にします。それを対象に瞑想をするときその所縁を遍作相と言います。

さらに、瞑想が進むと目をとじても(地遍を見なくても)意識上にイメージが現れるようになります。このイメージが取相です。

遍作修習は修習の第一段階の状態であるため、40すべての修習において得られます。

近行修習

遍作修習がさらに進むと、第二段階目の近行修習に達します。この状態になると、所縁は取相よりもさらに澄み切った似相と呼ばれるものになります。

以下の10は修習すれば近行修習まで達しますが、安止修習に達することはできません。
  • 仏随念(十随念)
  • 法随念(十随念)
  • 僧随念(十随念)
  • 戒随念(十随念)
  • 捨随念(十随念)
  • 天随念(十随念)
  • 寂止随念(十随念)
  • 死随念(十随念)
  • 食厭想
  • 四界差別
つまり十随念に関しては修習しても禅定に入れないということですね。

安止修習

近行修習がさらに進むと安止修習に達します。この状態で初めて安止修習と呼ばれる禅定に入った状態になります。

十随念をのぞく30の修習対象が安止修習に達することができます。(つまり禅定に入れる)

禅定の段階で瞑想対象を分類

禅定に入れるのは、30の止の瞑想でした。さらに、それぞれの瞑想ごとに、禅定に入れるレベルも異なってきます。以下に列挙します。

初禅まで入れる

  • 十不浄
  • 身起念(十随念)

第四禅まで入れる

  • 慈(四無量)
  • 悲(四無量)
  • 喜(四無量)

第五禅まで入れる

  • 十遍
  • 出入息念(十随念)
  • 捨(四無量)

無色界禅まで入れる

  • 四無色
四無色のうち、施設である瞑想対象は空施設、無処有施設の2つです。また、この回で列挙した色界禅の瞑想対象もすべて施設であり、その数は26です。

つまり、40の止の瞑想対象のうち、26+2=28が施設業処と呼ばれます。そして、40-28=12の残りの瞑想対象が、第一義業処と呼ばれます。

性格の適性で分類

その人の持って生まれた性格は、大きく分けて次の6つに分類できます。6つ性格は以下の5つの基準で判断します。
  1. 歩き方の姿勢
  2. 掃除、洗濯などの日常作業
  3. 好きな食べ物
  4. 見方、聞き方
  5. 善心、不善心の生まれ方
それでは、順番に見てみましょう。

貪性

性格

欲が生まれやすい性格。
  1. 歩き方、座り方などの姿勢は優美
  2. 掃除、洗濯などの日常作業は丁寧
  3. 好きな食べ物は甘いもの、香りのよいもの
  4. 好ましいものや声があればちょっとしたものでもすぐに執着する
  5. こび諂ったり、人を誑かしたりしがち

適した瞑想対象

  • 十不浄
  • 身起念

瞋性

性格

怒りが生まれやすい性格。
  1. 歩き方、座り方などの姿勢は粗野
  2. 掃除、洗濯などの日常作業は乱雑
  3. 好きな食べ物は酸いもの
  4. 不快なものや声があればちょっとしたものでもすぐに腹を立てる
  5. 怒り、嫉妬、ケチ、後悔などが生じやすい

適した瞑想対象

  • 四無量
  • 青遍
  • 黄遍
  • 赤遍
  • 白遍

痴性

性格

愚鈍な性格。
  1. 歩き方、座り方などの姿勢はだらしない
  2. 掃除、洗濯などの日常作業は無気力
  3. 好きな食べ物はこれといってない
  4. 自分の意見がなく人の意見に従う
  5. 惛沈、睡眠、掉挙などが生じやすい

適した瞑想対象

  • 出入息念

信性

性格

信が生まれやすい性格。
  1. 歩き方、座り方などの姿勢は優美
  2. 掃除、洗濯などの日常作業は丁寧
  3. 好きな食べ物は甘いもの、香りのよいもの
  4. 好ましいものや声があればちょっとしたものでもすぐに執着する
  5. 施などの善業道が生じやすい

適した瞑想対象

  • 仏随念
  • 法随念
  • 僧随念
  • 戒随念
  • 捨随念
  • 天随念

覚性

性格

智慧が生まれやすく、批判的な性格。
  1. 歩き方、座り方などの姿勢は粗野
  2. 掃除、洗濯などの日常作業は乱雑
  3. 好きな食べ物は酸いもの
  4. 不快なものや声があればちょっとしたものでもすぐに腹を立てる
  5. 智慧が生まれやすい

適した瞑想対象

  • 死随念
  • 寂止随念
  • 食厭相
  • 四界差別

尋性

性格

考え事が多く落ち着かない性格。
  1. 歩き方、座り方などの姿勢はだらしない
  2. 掃除、洗濯などの日常作業は無気力
  3. 好きな食べ物はこれといってない
  4. 自分の意見がなく人の意見に従う
  5. 尋(思考)が生まれやすい

適した瞑想対象

  • 出入息念

まとめ

実際はどれか一つだけの性格であることはなく、いくつかの性格が複合している場合がほとんどです。

また、残りの以下にあげる10の瞑想対象は、すべての性格の人に適しています。
  • 地遍
  • 水遍
  • 火遍
  • 風遍
  • 虚空遍
  • 光明遍
  • 四無色4
さらに、遍の場合は、大きな遍、小さな遍があります。

大きな遍は心の静まらない痴性者の心を和らげて、瞑想をはかどりやすくします。
小さな遍は考え込む性格の尋性者の心を和らげて、瞑想をはかどりやすくします。

止の瞑想対象40

十遍

遍とは心を一点に集中させるために、凝視する対象のことです。遍には以下の十遍があります。
  1. 地遍
  2. 水遍
  3. 火遍
  4. 風遍
  5. 青遍
  6. 黄遍
  7. 赤遍
  8. 白遍
  9. 虚空遍
  10. 光明遍
例えば、地遍とは直径30cmくらいの円形の地(土)で、それに集中することで得られる禅を地遍禅と言います。他、水遍なども地遍と同様です。

また、十遍といった瞑想対象にはそれぞれ固有の力があります。

例えば、地遍を修習して神通を得たならば、空中や水面に地を化作して地面の上と同じように歩いたり、座ったりできるようになります。

水遍なら、雨を降らせたり、地中に潜ったりできるようになります。

風遍なら、風のように行き来できるようになります。

十不浄

不浄とは「身体は浄である」という思い違いを打ち破り、あるがまま不浄であることを見る智慧をつけるための瞑想対象です。以下の10の不浄があります。

膨張屍

死後、数日を経て膨張してきた厭わしい死体のこと。

雑青屍

白、赤などの色が雑ざった青黒く変色した厭わしい死体のこと。

漏膿屍

身体の各部の破れた所から膿が漏れ出している厭わしい死体のこと。

切断屍

二つに切断された厭わしい死体のこと。

食残屍

犬やハゲタカなどが食い散らかした厭わしい死体のこと。

散乱屍

手・足・頭などがあちこちに散乱した厭わしい死体のこと。

斬刻散乱屍

五体が別々に切り刻まれてあちこちに投げ捨てられた厭わしい死体のこと。

血塗屍

流れ出た血で塗られた死体のこと。

蛆充満屍

蛆虫が全身にわいている死体のこと。

骸骨屍

骨だけになった厭わしい死体のこと。

十随念

随念とは繰り返し念じることです。繰り返し念じる対象には以下の10あります。

仏随念

阿羅漢などの仏徳を所縁として繰り返し念じること。

法随念

経典をはじめとする、道・果・涅槃などの法徳を所縁として繰り返し念じること。

僧随念

聖なる僧団の徳を所縁として繰り返し念じること。

戒随念

自分が守っている戒による徳を所縁として繰り返し念じること。

捨随念

自分が行っている布施の徳を所縁として繰り返し念じること。

天随念

「信などを持つことで諸天に生まれた天衆がいて、それら天衆と同じ信を自分も持っている」というように、自分に備わる信などの徳を所縁として繰り返し念じること。

寂止随念

一切苦の寂滅である涅槃の徳を所縁として繰り返し念じること。

死随念

「自分も確実に死ぬのだ」という概念を所縁として繰り返し念じること。

身起念

毛髪などの32の身体の部分を所縁として繰り返し念じること。

出入息念

出息、入息を所縁として繰り返し念じること。

四無量

慈悲喜捨の4つを四無量と言います。

あらゆる生命を慈しんで楽を与えたい(幸せであってほしい)と思うこと。自性は無瞋心所です。

ただし、すべての無瞋心所=慈というわけではありません。例えば、一生懸命勉強しているときも、無瞋心所が生じますが、このときの無瞋心所は慈の働きをしません。

あくまで、慈しみを受ける対象になる生命がいて、その生命が幸せであってほしいと念じるときに無瞋心所は慈のはたらきをします。

しかし、妻子をかわいがりたいという気持ちは慈しみではなく、本能的な渇愛です。

苦しんでいる生命に対して、その苦しみがなくなって楽になれるようにと思うことです。自性は無量心所の悲心所です。

楽を感じている生命に対して、その楽がずっと続きますようにと思うことです。自性は無量心所の喜心所です。

苦でも楽でもない平静の生命に対して、「すべての生命は業を自己とする」と冷静に見ること。

以上四無量において、慈悲喜の3つの修習によっては色界第四禅まで、捨の修習によって色界第五禅に入定できます。

一想(食厭相)

食厭相を一想と言います。

食物を食べることには、托鉢などの様々な煩わしさがついてきます。その煩わしさを観察することで、食物を厭う思いが生じます。これが食厭相です。

ここでは、食物が所縁であり、食厭相が能縁(所縁をとる心)という関係になっています。

一差別

一差別とは四界差別のことです。四界とは、地、水、火、風の四大種を指します。自身の身体を、地、水、火、風の四大種によって区別して理解する智が四界差別の意味です。
  • この部分は地である。
  • この部分は水である。
  • この部分は火である。
  • この部分は風である。
というように、観察するわけですね。

四無色

無色界禅定を修習するための4つの瞑想対象が四無色です。
  • 第一無色界に入るための所縁 → 空施設所縁
  • 第二無色界に入るための所縁 → 初無色識所縁
  • 第三無色界に入るための所縁 → 無処有施設所縁
  • 第四無色界に入るための所縁 → 第三無色識所縁

施設を認識するときの路

<例>go(牛)という一音節の言葉を聞いて牛をイメージする場合。
  1. 声所縁(現在声色)が耳門に触れ耳門路が生じる。
  2. その声所縁(過去声色)を所縁として彼随生意門路が生じる。
  3. 名施設(非存在施設)を所縁として名称把握意門路が生じて意味が分かる。
  4. さらに、名施設(非存在施設)を所縁として義施設把握意門路が生じ、牛の形などがイメージとして現れる。
<例>bhumi(大地)という二音節の言葉を聞いて大地をイメージする場合。
  1. bhu(ブー)という声所縁(現在声色)が耳門に触れ耳門路が生じる。
  2. その声所縁(過去声色)を所縁として彼随生意門路が生じる。
  3. mi(ミ)という声所縁(現在声色)が耳門に触れ耳門路が生じる。
  4. その声所縁(過去声色)を所縁として彼随生意門路が生じる。
  5. bhumi(ブーミ)という声所縁(過去声色)を所縁として、統合把握意門路が生じる。
  6. 名施設(非存在施設)を所縁として名称把握意門路が生じて意味が分かる。
  7. さらに、名施設(非存在施設)を所縁として義施設把握意門路が生じ、大地の形などがイメージとして現れる。

施設(せせつ)

施設とは実在しないもののを意味します。一般的に、分かりやすく言うと概念とかイメージとかですね。施設は大きく分けて以下の2つに分類できます。

義施設

声施設によって私たちに知らされる概念のことです。

例えば、「人間」というものも厳密に言うと存在しません。

というのも、「人間」を極限まで細かく分解していくと、素粒子と心の集合体になります。そして、それらが集まって人間という概念を作り出しているわけですね。

同じように、素粒子が集まって鉄原子になり、鉄原子が集まって車という概念をつくっているわけです。

義施設はさらに、次の8つに分類できます。

接合施設

四大種が集まってできた、自然の産物につけた概念のことです。大地、山、川、海、樹など。

積聚施設

材木などの材料が集まって人工的に成り立っているものにつけた概念のことです。車、机、いす、村など。

有情施設

生命(五蘊の集まり)につけた概念のことです。男、女、人、虎など。

方位施設

北という方角を概念的に決めることで、他の方角も概念的に決まります。このときの東西南北は方位施設です。

時施設

また、地球の自転と公転によって、ここからここまでは一日、ここからここまでは一年など概念的に決めたものが時施設です。

虚空施設

まわりにある物質のおかげで成り立つ空間につけた概念のことです。洞窟、トンネル、穴など。

相施設

色界禅定に入る際に瞑想対象とされる、遍相、遍作相、取相、似相と呼ばれる施設。

その他施設

  • 第三無色界禅の所縁となる無有体施設
  • 色界禅の所縁となる安般施設
  • 青遍、黄遍などの色遍施設
  • 第一義法によって名付けられる依止施設
  • 第一に対する第二、長いに対する短いなどの比較施設

声施設

義施設を知らせる言葉のことです。

例えば、「車」という名前を言葉で発することで、それに相応するイメージが作られます。「ガラス窓があって、タイヤが4つあって、スピードが速くて・・・・」という風に。

声施設は、さらに次の6つに分類できます。

存在施設

存在とは実在するもの、つまり勝義諦のことを指します。

例えば、色、受、想などは実在する勝義諦であり、それらを呼び示す「色」「受」「想」という呼び名は存在施設です。

非存在施設

非存在とは、勝義諦ではない、つまり施設を意味します。

例えば、山、川というのはそもそもが施設であり、それらを呼び示す「山」「川」という呼び名は非存在施設です。

存在非存在施設

「勝義諦+施設」という形になっている呼び名が存在非存在施設です。

例えば、六神通者という場合、「六神通(勝義諦)+者(施設)」という形の呼び名であり、存在非存在施設です。

非存在存在施設

「施設+勝義諦」という形になっている呼び名が非存在存在施設です。

例えば、女の声という場合、「女(施設)の声(勝義諦)」という形の呼び名であり、非存在存在施設です。

存在存在施設

「勝義諦+勝義諦」という形になっている呼び名が存在存在施設です。

例えば、眼識という場合、「眼(勝義諦)+識(勝義諦)」という形の呼び名であり、存在存在施設です。

非存在非存在施設

「施設+施設」という形になっている呼び名が非存在非存在施設です。

例えば、王子という場合、「王(施設)+子(施設)」という形の呼び名であり、非存在非存在施設です。

諸縁論の仕方まとめ

所縁縁 所縁縁類 所縁縁
所縁主縁
所縁親依縁
所縁前生縁
基所縁前生依縁
基所縁前生不相応縁
所縁前生有縁
所縁前生不離去縁
親依縁 無間縁類 無間縁
極無間縁
無間親依縁
習行縁
自然親依縁各刹那業縁
自然親依縁類 後生の心心所に働きかける前生の強力な心心所・色・施設である自然親依縁
道思を除いた異熟名蘊に働きかける強力な業である自然親依縁各刹那業縁
業縁 業縁類 欲界異熟に働きかける非力な業縁
業生色に働きかける強力・非力な業縁
有縁 俱生縁類 因縁
俱生主縁
俱生縁
相互縁
俱生依縁
俱生業縁
異熟縁
名食縁
俱生根縁
禅縁
道縁
相応縁
俱生不相応縁
俱生有縁
俱生不離去縁
前生縁類 基前生依縁
基前生縁
前生根縁
基前生不相応縁
基前生有縁
基前生不離去縁
後生縁類 後生縁
後生不相応縁
後生有縁
後生不離去縁
食縁類 色食縁
食有縁
食不離去縁
名命根縁類 色名根縁
根有縁
根不離去縁

名色が名色に対しての縁

心、心所、物質が別の心、心所、物質を生じさせる縁についての説明です。この縁は次の9種類あります。
  1. 主縁
  2. 俱生縁
  3. 相互縁
  4. 依縁
  5. 食縁
  6. 根縁
  7. 不相応縁
  8. 有縁
  9. 不離去縁

主縁

主縁とは、後に生じる所縁所生を自在にコントロールするような力のある縁という意味があります。そして主縁には次の2つがあります。

所縁主縁

所縁主縁とは心をとりこにする非常に好ましい所縁のことを言います。非常に好ましい所縁ですので、好ましくないものは所縁主縁に含みません。

具体的には
  • 好ましい完色18
  • 心84(瞋根心2、痴根心2、苦俱身識1をのぞく)
  • 47心所(瞋、嫉、慳、悪作、疑をのぞく)
  • 涅槃
が所縁主縁になります。そして、所縁主縁所生となるのは以下のとおりです。
  • 貪根心8
  • 大善心8
  • 大唯作智相応心4
  • 出世間心8
  • 45心所(瞋、嫉、慳、悪作、疑、無量をのぞく)

俱生主縁

意欲、精進、心、慧といった四主が主となった時、共に生じる名色を自在にコントロールできます。このとき、四主のことを俱生主縁と言います。

ちなみに痴根心2、笑起心は因の数がそれぞれ一因、無因であるためエネルギーが弱く、俱生主縁には含みません。

あくまで
  • 二因、三因のエネルギーの強い速行心52
  • 二因、三因の速行心に相応する意欲心所
  • 二因、三因の速行心に相応する精進心所
  • 三因の速行心に相応する慧根心所
が俱生主縁です。また、以下が俱生主縁によって生じる俱生主縁所生です。
  • 俱生主縁になっていない二因、三因の速行心52
  • それに相応する疑を除いた心所51
  • 俱生主縁が速行のときに生じる色
例えば、俱生主縁として貪根心がはたらいた場合、俱生主縁所生には貪根心が含まれないということですね。

俱生縁

俱生とは共(倶)に生じるという意味です。つまり、共に生じる(同起する)縁が俱生縁です。俱生縁には次の3つのパターンがあります。

心心所

無色界地に結生する場合、業(行)によって識蘊(異熟心)が生じ、識蘊によって受蘊、想蘊、行蘊が生じます。

このとき、識蘊は俱生縁であり、受蘊、想蘊、行蘊は俱生縁所生になります。また、同じように受蘊が俱生縁となる場合は、残り3蘊が俱生縁所生となります。

次に五蘊地(欲界、色界)に結生する場合、業(行)によって識蘊(異熟心)が生じ、識蘊によって名色(受蘊、想蘊、行蘊、色蘊)が生じます。

このとき、識蘊は俱生縁であり、受蘊、想蘊、行蘊、色蘊は俱生縁所生になります。また、同じように名蘊(受蘊、想蘊、行蘊)が俱生縁となるとき、残りの識蘊、色蘊は俱生縁所生となります。

四大種

色聚にも心心所と同じように、同起・同滅・同所縁という関係性があります。例えば、純八集は不簡別色8のことですが、この中に地界が含まれています。

色聚は同起・同滅・同所縁という関係があるため、地界が俱生縁となる場合、残りの大種3と依止色が俱生縁所生となります。

基・異熟

五蘊地(欲界、色界)に結生する場合、業(行)によって識蘊(異熟心)が生じ、識蘊によって名色(受蘊、想蘊、行蘊、色蘊)が生じます。

このとき、識蘊は俱生縁であり、受蘊、想蘊、行蘊、色蘊は俱生縁所生になると述べました。ということは、名蘊4(識蘊、受蘊、想蘊、行蘊)と色蘊である心基も同時に生じるはずです。

つまり、
  • 名蘊(受蘊、想蘊、行蘊)が俱生縁になるとき、心基(色蘊)は俱生縁所生
  • 心基(色蘊)が俱生縁になるとき、名蘊(受蘊、想蘊、行蘊)は俱生縁所生
となります。

相互縁

基本的には、俱生縁と考え方は同じで、以下の3つのパターンがあります。
  • 心心所
  • 四大種
  • 基・異熟
詳細は俱生縁を参照してください。

依縁

依縁とは依りどころとなる縁という意味です。例えば、ご飯を食べるためには、お皿や箸なども必要ですが、根本的に稲や田んぼなどがないとご飯を食べれませんね。

このとき、
  • 稲や田んぼなど根本縁に依りどころとなるものを親依縁
  • お皿や箸などのその場その場で依りどころとなるものを依縁
と言います。依縁には次の2種類あります。

俱生依縁

俱生依縁は俱生縁と内容は同じです。

基前生依縁

基前生依縁はさらに次の2種類に分類できます。

基前生依縁

まず、基前生依縁とは、「前に生じた基に依存して生じる」というような意味になります。具体的には以下のものです。
  • 過去有分と同時に生じる中寿の眼基(耳基、鼻基、舌基、身基)
  • 結生心と同時に生じる心基
  • 滅尽定から出る直前に生じる心基
  • 死心より17心刹那前の心の生位に生じる六基
まず、眼識が生じるためには、眼基と色所縁が触れる必要があります。

このとき、眼基も色所縁もそれぞれ17心刹那の寿命があり、これらの住位が重なっている時間だけ私たちは色所縁を見ることができます。つまり、眼が無くても見えない。色所縁が無くても見えない。ということです。

ということは、眼基と色所縁が同時に生じたときが最も住位が重なる時間が長くなるわけですね。このときの状態が中寿の眼基と呼ばれます。

結生心と同時に結生業生色が生じますが、それは人間の場合で言うと、身十集、性十集、基十集の3集であり、それらの中にそれぞれ心基が含まれています。

そして、それらの基に依って生じる心が基前生依縁所生です。

基所縁前生依縁

基所縁前生依縁とは、「前に生じた基である所縁に依存して生じる」というような意味になります。具体的には、死心より17心刹那前の心の生位に生じる心基が基所縁前生依縁です。

さらに、基所縁前生依縁所生は以下の通りです。臨終路における
  • 意門引転心
  • 欲界速行29(不善心12、大善心8、大唯作心8、笑起心1)
  • 彼所縁11(大異熟心8、推度心3)
  • 嫉、慳、悪作、離、無量を除いた心所44

食縁

食縁とはいわゆる四食のことで、四食は色食縁と名食縁の2種類がに分類できます。

色食縁

色食縁とは、いわゆる段食であり、生命体の外の滋養素を意味します。そして色食縁(段食)によって生じる、食起因色が色食縁所生です。

名食縁

四食における、残りの3つ
  • 触食
  • 意の思食
  • 識食
が、名食縁と呼ばれます。そして、それらを縁として生じる
  • 心89
  • それに相応する心所52
  • 心生色
  • 結生業生色
が名食縁所生です。例えば、触を名食縁として貪根心が生じるとき、名食縁は触です。

名食縁所生は、
  • 貪根心
  • 貪根心に相応する触を除いた心所18
  • 心生色
です。

根縁

根縁とはいわゆる二十二根であり、二十二根によって生じるものが根縁所生です。
  • 眼根、耳根、鼻根、舌根、身根(五基色)
  • 女根、男根(性色)
  • 命根(命根色命根心所)
  • 意根(89心)
  • 楽根、苦根、喜根、憂根、捨根(五受)
  • 信根、精進根、念根、定根、慧根(五根)
根縁は以下の3種類に分類できます。

前生根縁

過去有分と同時に生じる中寿の五浄色(眼基、耳基、鼻基、舌基、身基)のことを前生根縁と言います。中寿の説明は、依縁を参照してくださいね。また、前生根縁によって生じる
  • 前五識10(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識)
  • 共一切心心所7
が前生根縁所生です。五浄色を根と見立てたときに、例えば眼根が前に生じてから眼識が生じるため、このように説明されます。

色名根縁

物質の生住滅を司る命根色が色命根縁です。また、色命根縁所生は
  • 命根色を除いた命九集
  • 命根色を除いた眼十集
  • 命根色を除いた耳十集
  • 命根色を除いた鼻十集
  • 命根色を除いた舌十集
  • 命根色を除いた身十集
  • 命根色を除いた男性十集
  • 命根色を除いた女性十集
  • 命根色を除いた基十集
の9の業生聚です。

俱生根縁

  • 命根心所
  • 意根(89心)
  • 楽根、苦根、喜根、憂根、捨根(五受)
  • 信根、精進根、念根、定根、慧根(五根)
これらが俱生根縁と呼ばれます。また、俱生根縁によって生じる
  • 心89
  • それに相応する心所52
  • 心生色
  • 結生業生色
が、俱生根縁所生です。

不相応縁

不相応縁には以下の3種類があります。

俱生不相応縁

俱生不相応縁とは、共に生じて、かつ、それぞれが別々のはたらきをする縁という意味です。具体的には
  • 心75(無色界異熟心4、前五識10、阿羅漢の死心を除く)
  • その心に相応する心所52
が、俱生不相応縁と呼ばれます。また、俱生不相応縁によって生じる俱生不相応縁所生は
  • 心生色
  • 結生業生色
です。

前生不相応縁

基前生依縁、基所縁前生依縁の2種と同じものです。

後生不相応縁

後生縁と同じものです。

有縁

ただ、そこにあるだけで縁所生に力を及ぼす縁を有縁と言います。有縁は以下の5つに分類できます。

俱生有縁

自性は俱生縁と同じ。

前生有縁

自性は前生縁と同じ。

後生有縁

自性は後生縁と同じ。

食有縁

自性は色食縁と同じ。

根有縁

自性は色名根縁と同じ。

不離去縁

不離去縁とは、自らが去らないことによって、縁所生に影響を与える縁という意味です。内容は有縁と全く同じです。