十遍
遍とは心を一点に集中させるために、凝視する対象のことです。遍には以下の十遍があります。- 地遍
- 水遍
- 火遍
- 風遍
- 青遍
- 黄遍
- 赤遍
- 白遍
- 虚空遍
- 光明遍
また、十遍といった瞑想対象にはそれぞれ固有の力があります。
例えば、地遍を修習して神通を得たならば、空中や水面に地を化作して地面の上と同じように歩いたり、座ったりできるようになります。
水遍なら、雨を降らせたり、地中に潜ったりできるようになります。
風遍なら、風のように行き来できるようになります。
十不浄
不浄とは「身体は浄である」という思い違いを打ち破り、あるがまま不浄であることを見る智慧をつけるための瞑想対象です。以下の10の不浄があります。膨張屍
死後、数日を経て膨張してきた厭わしい死体のこと。雑青屍
白、赤などの色が雑ざった青黒く変色した厭わしい死体のこと。漏膿屍
身体の各部の破れた所から膿が漏れ出している厭わしい死体のこと。切断屍
二つに切断された厭わしい死体のこと。食残屍
犬やハゲタカなどが食い散らかした厭わしい死体のこと。散乱屍
手・足・頭などがあちこちに散乱した厭わしい死体のこと。斬刻散乱屍
五体が別々に切り刻まれてあちこちに投げ捨てられた厭わしい死体のこと。血塗屍
流れ出た血で塗られた死体のこと。蛆充満屍
蛆虫が全身にわいている死体のこと。骸骨屍
骨だけになった厭わしい死体のこと。十随念
随念とは繰り返し念じることです。繰り返し念じる対象には以下の10あります。仏随念
阿羅漢などの仏徳を所縁として繰り返し念じること。法随念
経典をはじめとする、道・果・涅槃などの法徳を所縁として繰り返し念じること。僧随念
聖なる僧団の徳を所縁として繰り返し念じること。戒随念
自分が守っている戒による徳を所縁として繰り返し念じること。捨随念
自分が行っている布施の徳を所縁として繰り返し念じること。天随念
「信などを持つことで諸天に生まれた天衆がいて、それら天衆と同じ信を自分も持っている」というように、自分に備わる信などの徳を所縁として繰り返し念じること。寂止随念
一切苦の寂滅である涅槃の徳を所縁として繰り返し念じること。死随念
「自分も確実に死ぬのだ」という概念を所縁として繰り返し念じること。身起念
毛髪などの32の身体の部分を所縁として繰り返し念じること。出入息念
出息、入息を所縁として繰り返し念じること。四無量
慈悲喜捨の4つを四無量と言います。慈
あらゆる生命を慈しんで楽を与えたい(幸せであってほしい)と思うこと。自性は無瞋心所です。ただし、すべての無瞋心所=慈というわけではありません。例えば、一生懸命勉強しているときも、無瞋心所が生じますが、このときの無瞋心所は慈の働きをしません。
あくまで、慈しみを受ける対象になる生命がいて、その生命が幸せであってほしいと念じるときに無瞋心所は慈のはたらきをします。
しかし、妻子をかわいがりたいという気持ちは慈しみではなく、本能的な渇愛です。
悲
苦しんでいる生命に対して、その苦しみがなくなって楽になれるようにと思うことです。自性は無量心所の悲心所です。喜
楽を感じている生命に対して、その楽がずっと続きますようにと思うことです。自性は無量心所の喜心所です。捨
苦でも楽でもない平静の生命に対して、「すべての生命は業を自己とする」と冷静に見ること。以上四無量において、慈悲喜の3つの修習によっては色界第四禅まで、捨の修習によって色界第五禅に入定できます。
一想(食厭相)
食厭相を一想と言います。食物を食べることには、托鉢などの様々な煩わしさがついてきます。その煩わしさを観察することで、食物を厭う思いが生じます。これが食厭相です。
ここでは、食物が所縁であり、食厭相が能縁(所縁をとる心)という関係になっています。
一差別
一差別とは四界差別のことです。四界とは、地、水、火、風の四大種を指します。自身の身体を、地、水、火、風の四大種によって区別して理解する智が四界差別の意味です。- この部分は地である。
- この部分は水である。
- この部分は火である。
- この部分は風である。
四無色
無色界禅定を修習するための4つの瞑想対象が四無色です。- 第一無色界に入るための所縁 → 空施設所縁
- 第二無色界に入るための所縁 → 初無色識所縁
- 第三無色界に入るための所縁 → 無処有施設所縁
- 第四無色界に入るための所縁 → 第三無色識所縁