同他心所は、善心・不善心に関係なく含まれる心所という意味でした。そして、同他心所の一つめの共一切心心所は、すべての心に100%含まれる心所でしたね。
雑心所も、同他心所の仲間なので善心・不善心に関係なく含まれますが、すべての心に100%含まれるわけではありません。
その心によって含まれたり、含まれなかったりする心所なのです。
雑心所には次の6種類あります。
尋(じん)
尋(じん)と次に出てくる伺(し)がセットで、いわゆる考えるはたらきを指します。
尋だけの意味は心を対象に向かわせるはたらきです。
イメージで言うと、鳥が飛び立つ瞬間が尋、流れにのって滑空している状態が伺に例えられます。
他には、ミツバチが蜜を求めて花に向かう状態が尋、目的の花に到着してそのなわばりを維持する状態が伺に例えられたりもします。
伺(し)
尋伺で考えるはたらきだとお話しました。尋はまず最初に心を対象に向かわせる、いわば特攻隊のようなはたらきです。
伺は、その後にじっくり対象を洞察するというはたらきがあります。
例えば、旅行の計画を考える場合。
まず計画する前に、『計画しよう』と思考をそちらに向けなければ、計画がスタートしませんよね!?(尋)
そして、思考モードに入ってから、『何時に家を出よう』とか『どの道を通ろう』とかじっくり考えるわけです。(伺)
寝起きのときに、『はい、じゃあ旅行の計画を立ててください』と言われても、ポカンとするだけですね。頭が思考モードに入っていないからです。
勝解(しょうげ)
勝解とは対象を決定するはたらきの事です。いわゆるジャッジ・判断の事ですね。
私たちはあらゆるものを判断しながら生きています。それは必ずしも正しいとは限りません。
例えば、私たちは『あの人は性格暗いし、友達いないだろうな~』とか平気で判断したりします。
このときの判断を担当しているのが勝解になります。
精進(しょうじん)
精進は努力の事ですね。これは分かりやすいです^^
一時の感情に流されて行動することは精進ではありません。
例え、まわりからお祭りの音が聞こえてきても、そのとき勉強すると決めたら流されずにやる!
それが精進です。
ちなみに意欲は所縁に触れたときに最初に「何かしたい」という好奇心のようなはたらきで、それを持続させるのが精進のはたらきになります。
喜(き)
喜は、精神的な喜びのことです。そのままですね^^
例えば、あなたが砂漠を旅していたとします。
ずっと歩きっぱなしで、のどはカラカラ、足は棒のようになって疲れきっています。
『このまま倒れてしまうんじゃないだろうか・・・』
そんな不安もよぎります。
すると、前から別の旅人が、元気に歩いてくるではありませんか?
そしてその旅人はあなたに言いました。
『大分疲れてますね。でも大丈夫。この先にすぐオアシスがありますよ!』
さてその時あなたはにはどんな変化が起こるでしょうか??
その時に生まれる喜びの感覚が喜(piti)です。
意欲(いよく)
意欲とはやる気の事ですね。
日本語では、意欲心所も貪心所も『~したい』というエネルギーですが、この2つはまた性質が違います。
例えば、
- 勉強をがんばりたい
- おいしいものを食べたい
この2つの『したい』は同じ意味でしょうか?
1番が意欲心所で、2番が貪心所のはたらきです。
意欲には、いい・悪いはなく、よく言われるのが『心の手』と表現されます。
つまり、心から手がのびて何でもつかもうとするはたらきという意味です。
もっと簡単に言うと、ワクワクする感じです。