具体的には次の14種類あります。
痴(ち)
痴とは、無知のことで、事実を正確に理解していないことをさします。不善心所には貪、瞋、痴の3つのリーダーがいるとお話しました。
その中でも、不善心所の一番のボスは痴なのです。
人間も含めて生命はそもそも無知だから欲や怒りを起こして、その結果自滅するわけです。
例えば
- 『これはおいしそうなキノコだ!』と思って、毒キノコを食べて苦しんだり
- ある事ない事を妄想をしていて忘れ物をしてしまったり
- 本当は無実の友人を犯人だと思い込んで攻撃してしまったり
- 人が自分の思い通りにならないと腹をたてたり
ここで生まれる欲や怒りは、人の無知さが原因になって生まれているのがよく分かると思います。ですから、痴はすべての不善心に含まれています。
無慚(むざん)
ネットで慚と調べると、『はじる』と説明されています。つまり、無慚とは『はじない事』という意味です。悪い事をしても、それを恥ずかしいと思わないということですね。
無愧(むき)
愧とは『おそれる』という意味です。つまり、無愧とは、悪い事をする事をおそれない事という意味になります。
例えば、万引きしたら警察に捕まります。
これは、そんなに難しい理論じゃありませんよね。ちょっと理性的に考えればすぐ分かる事です。
でも、もしその事が分からない人がいたら、あたり前のように万引きするでしょう。このように無愧も無知であるがゆえの行動であると言えます。
掉挙(じょうこ)
掉挙とは、心が上の空で全く集中力がない状態のことです。例えば、『財布がない!』と焦って探す場合。
目の前にあるのに、本人は気が動転して、それに気づかずに慌てふためいている。そんな状況はよくありますよね。
この時に強くはたらいている心所が掉挙だとご理解下さい。
その他には、
発表会で緊張して言いたいことが飛んでしまった・・・
なんてのも掉挙の性質によるものです。一般的に言うと、焦りとか緊張とかそんな意味合いに近いかもしれません。これもすべての不善心に含まれています。
貪(とん)
貪はむさぼり、つまり欲で執着する性質をもった心所です。貪はすべての貪根心に含まれます。貪は欲望という意味ですが、一般的な欲望よりももっと広い意味があります。
五感と心に入ってきた情報に対して、好んで執着したいエネルギーすべてを貪というグループでまとめているわけです。
また、貪は以下の貪グループのリーダーでもあります。
- 貪(とん)
- 見(けん)
- 慢(まん)
例えば、あなたが『心の勉強のために心理学の本を読もう!』と思ったとします。
このときは意欲を持って心理学の本を手にとりますが、執着し貪る気持ちで本を手にとるわけではありませんよね!?
なぜなら、目的は心の勉強をすることであって、心理学の本を手にする事ではないからです。
でも、例えば中学生が大好きなアイドルの本を手に取る場合は、また状況が違います。そのときは、その本を手にすること自体が目的で、そこに執着があります。
執着があるので何冊手に入れても『もっともっと』となるわけです。それが貪のはたらきです。
見(けん)
見とは思い込みの意味です。ただし、ここでは悪見、つまり間違った思い込みを意味します。思い込みというのは、そうだと信じている信念みたいなものですね。見は貪根心・悪見相応心に含まれます。
私たちは自分の思い込みが正しいと思って生きています。
- 偉そうにふるまう人は人間失格だ
- 遅刻は社会人としてあるまじき行為だ
- 初対面では敬語を使わないと失礼だ
- やってもらったらお返しするのが当然だ
確かに、それらはある一方からは正しいかもしれません。しかし、完全に正しいとは言い切れないのです。
例えば、
空き缶を『丸い』と言い張っている人がいたらどう思いますか?
おそらくその人は空き缶を真上か真下から見ているのでしょう。そして、その方向から見れば確かに間違っていません。
だからと言って空き缶は丸いわけではありませんよね!?
この場合も、『空き缶は丸い』という見解はやはり悪見なのです。なぜ、見が貪グループかというと、誰しも自分の思い込みを好んで執着するからです。
慢(まん)
慢とは他者と比較するはたらきですね。一般的にも自慢と言えば、『他と比べて自分のほうが上だ!』という意味ですから。
見は貪根心・悪見相応心に含まれます。(見=悪見のことですから)
逆に、慢は貪根心・悪見不相応心に含まれることがあります。ただ、含まれないこともあるのが特徴です。
慢にも3種類あります。
- 増上慢・・・他人より自分が優れていると思うこと
- 卑下慢・・・他人より自分が劣っていると思うこと
- 同等慢・・・他人と自分は同等であると思うこと
例えば、他人と自分が同じだと思っていた場合、自分だけ掃除を命令されたらどう思いますか?
『あの人も私と同等なんだから、あの人にも掃除させてよ!』と思ってしまいがちです。
もし同等慢がなければ、『はい』と言って素直に掃除するだけなのです。慢も自ら好んで比べる性質があるので、貪グループに分類されます。
瞋(しん)
瞋は、怒りの要素をもつ心所です。ただし、私たちが普段使っている怒りという意味よりも、もっと広い意味があります。どういう事かというと、瞋は貪の逆のエネルギーなのです。
貪は「欲しい」というエネルギーですが、それが叶わなかったとき、瞋のエネルギーに変わるわけです。
ですから、悲しみも瞋に含まれます。
もう少し詳しく説明しますね。
怒りにも外向きの怒りと内向きの怒りがあります。
- 外向きに怒りを表せば、いわゆる怒りになります。
- 内向きに怒りを表せば、悲しみなどの形になります。
- 瞋(しん)
- 嫉(しつ)
- 慳(けん)
- 悪作(あくさ)
嫉(しつ)
嫉は嫉妬のことですね。好ましいものが自分にはない。相手にはある。
このときに相手を妬ましく思うわけですね。
嫉も、その状況に許しがたい嫌悪感が生まれることから、怒り(瞋)のグループに分類されます。
慳(けん)
慳とはもの惜しみの事ですね。嫉は、『好ましいものが自分にはない。相手にはある。』場合に生まれる嫉妬の性質でした。
慳はその逆で、『好ましいものが自分にはある。相手にはない。』場合に生まれるもの惜しみの性質ですね。
相手と分かち合いたくないのです。その状況がイヤなのです。
例えば、子供が嫌いな友達におもちゃを貸さないことがありますね。その時使っていないのに、単に貸すのがイヤなんですね。
ですから慳も怒り(瞋)のグループに入ります。
もう一つ分かりやすいたとえがドラえもんに出てくるジャイアンのせりふです。
『お前のものはオレのもの。オレのものはオレのもの』
これ完全に分かち合いを拒否していますよね^^;
これが慳のイメージです。
補足
慳貪という言葉もありますから、慳は欲の仲間だというイメージもあります。もちろん欲があるから、もの惜しみするわけですが、もの惜しみしている瞬間は、その状況に対する嫌悪感が生まれています。
そして、嫌悪感が生まれている瞬間は、もともとあった欲が消えているわけです。そこで瞋にグループ分けします。
悪作(あくさ)
悪作は後悔のことです。後悔にも2種類あります。- よい事をしなかった事への後悔
- 悪い事をしてしまった事への後悔
また、似た言葉に反省という言葉があります。
反省とは、将来よくなるために過去の失敗を省みる行為です。つまり反省はポジティブな行為なのです。
しかし、後悔は単に過去のでき事を拒絶するだけですから、完全にネガティブな行為になります。いくら後悔しても将来はよくならないからです。
惛沈(こんぢん)
惛沈とは、心が沈み鈍くなる性質の心所です。惛沈は睡眠と同時に生まれる性質があります。また、不善心の有行と対応します。有行とは、「外からの働きかけがある時の心」、つまりエネルギーが弱い心でした。
例えば、貪根心・喜倶・悪見相応・有行というと
- 喜びの感覚があって
- 間違った見解をともなっていて
- エネルギーが弱い
- 貪根心
イメージすると分かりやすいのですが、私たちが眠くなるときは決まって心のエネルギーが弱くなるときです。
例えば、大好物のケーキが目の前にあって、あなたはお腹がペコペコだったとします。そのときは、ものすごく興奮して貪根心・喜倶・悪見不相応・無行などの心が生まれます。
そんなときに眼が覚めることはあっても眠くはなりません。
逆に、やりたくないけど生活のためにしぶしぶ仕事をする場合は心がとても鈍くなったりします。
また同時に眠気も出てきますね。前の日どんなに十分寝たとしても。このときの要素が、惛沈・睡眠です。
睡眠(すいみん)
字のごとく、眠くなって心が鈍くなる性質の心所ですね。惛沈&睡眠のセットで有行心に含まれることがあります。含まれないこともあります。
含まれるときは必ず惛沈&睡眠セットで含まれます。有行はエネルギーが弱い心ですので、惛沈&睡眠と相性がいいわけですね。
疑(ぎ)
疑とは事実を詳しく調べもせず何となく疑う事ですね。疑が含まれるのは、痴根心・疑相応のみです。
疑の性質は根拠ない疑いなので、言い換えると迷いがある状態を指します。ですから、決定の性質を持つ勝解とは正反対の心所になります。
そのため痴根心・疑相応には勝解が含まれないのが特徴です。(他の不善心にはすべて勝解が含まれる)
さて、疑の例え話を一つ。
例えば、私の実家は兼業農家で、前に焼畑をした事がありました。私の祖母はひどく火事をおそれ、私にいつも注意しました。
『草を畑の真ん中へ集めないと、火を付けてはいかん!』
私はその理由を聞きました。
すると、『山火事になるのが怖いから』という理由でした。
『畑の真ん中であれば何となく安心』という事なのでしょう。
- でも、どう考えても山までは距離があります。
- それに畑と山の間に小川もあります。
- 天候などの条件さえ考えれば火事の可能性はとても低い。
そこで私は因果の法則に従って焼畑を実行しました。すると、すみずみまでキレイに焼けました。
そこでその事を祖母に報告すると、『危ない』と注意されたのです。しかし、その後も同じ方法で何度も焼畑を成功させました。そのたびに祖母に注意される事になるのですが。
そして、ある日私は祖母に説明しました。
『あのね。火は燃えるもの・空気・火の3つがないと燃えないのよ。山火事になるには火が小川を渡って飛んでいかないといけない。そんな事はたいていはありえないよ。』
と。
それでも、祖母は『危ない』と言い続けたのでした。
祖母は火の燃え方の事実を疑っていました。そこで根拠のない恐怖をいつも感じていたのです。これが疑のイメージです。
まとめ
不善心所は次の14あります。不善心所は、3つのグループに分けられ、それぞれにリーダーがいます。
- 痴(痴グループ)
- 無慚(痴グループ)
- 無愧(痴グループ)
- 掉挙(痴グループ)
- 貪(貪グループ)
- 見(貪グループ)
- 慢(貪グループ)
- 瞋(瞋グループ)
- 嫉(瞋グループ)
- 慳(瞋グループ)
- 悪作(瞋グループ)
- 惛沈(痴グループ)
- 睡眠(痴グループ)
- 疑(痴グループ)
- 貪は、対象を好んで『もっともっと!』と求める欲の性質があります。
- 瞋は、対象を嫌って『向こうへ行け!』と排除する怒りの性質があります。
- 痴は、事実をはっきり理解できない無知の性質のことですね。
痴グループが1~4と12~14に分かれていますが、これにも意味があります。というのも1~4の痴グループはすべての不善心に含まれるからです。
そのため1~4の痴グループを共不善心所と呼ぶこともあります。
その他、5~14において
- 貪グループの心所は貪根心に
- 瞋グループの心所は瞋根心に
- 痴グループの心所は痴根心に
状況に応じて含まれます。