共一切心心所

共(く)とは、共通しているという意味で、一切とは、すべてという意味です。

つまり、共一切心心所(くいっさいしんしんじょ)とはすべての心に必ず共通して含まれる心所という意味になります。

共一切心心所は次の7つあります。

対象に触れるという性質を持つ心所です。

仏教での心の定義を覚えていますか?

仏教では、心とは対象を認識するはたらきでしたね!

例えば、あなたと死体の違いは何でしょうか?どちらも同じアミノ酸とか、たんぱく質とかでできていますよね!?

でも、何かが違います。

その違いが心なのです。

死体はまわりのものを認識しません。火葬されても熱いとも思わないわけです。

しかし、あなたはまわりを認識して生きています。裏を返せば、生きているという事はまわりを認識しているという事なんですね。

まわりを認識するためには、まわりの情報に『触れた!』とまず気づかなければいけないわけです。

そのように、触れたとまず気づくために必要な要素が触です。

受とは感覚を感じる要素です。

受は具体的に3つに分けられます。
  • 苦・・・好ましくない感覚
  • 楽・・・好ましい感覚
  • 不苦不楽・・・どちらでもない感覚
自分にとって好ましい感覚か、好ましくない感覚かをざっくり分けるやり方です。

その他もう少し細かく5つに分ける方法もあります。
  • 苦・・・肉体的に好ましくない感覚
  • 楽・・・肉体的に好ましい感覚
  • 憂・・・精神的に好ましくない感覚
  • 喜・・・精神的に好ましい感覚
  • 捨・・・いずれでもない感覚
受の要素がないと感覚を感じることができません。

想とは対象を想念・表象するという意味です。

表象を調べると次のように説明しています。

知覚したイメージを記憶に保ち、再び心のうちに表れた作用をいう(イメージそのものを含めて呼ぶこともある)が、元来は「なにか(に代わって)他のことを指す」という意味である。類義語に、記号、イメージ、シンボル(象徴)がある。

かみ砕いていうと対象の特徴をマーキングし、その特徴をイメージするという感じでしょうか。

『これと他のものは何が違うのだろうか?』と瞬間的にイメージするわけですね。この想という要素がないと、車と傘の違いが分からなくなるのです。

また上の説明にもあるように、想は記憶するという働きも担っています。

なぜなら、私たちが普段行っている記憶するという行為。それは、対象の特徴を理解することと同じことなのです。

痴呆の老人は想が弱くなっているわけです。だから、家族と他人の区別がつかなくなるのですね。

また、動物がかかしを『人間だ!』と思うのも想のはたらきによるものです。動物なりに『人間の特徴とは○○』というイメージがあるわけですね。

思とは、話したり、考えたり、行動したりするための原動力になる潜在エネルギーみたいなものです。

『ああしよう』『こうしよう』と、対象に心を向かせる根本的なエネルギーです。

次に結果を作る心の種を業(カルマ)といいますが、実はこの思のことなのです。

また、思はエネルギーが強く、他の心所をたばねて同じ方向にはたらかせるという特徴があります。

例えるなら、会社の社長みたいな感じですね。他の心所(社員)をたばねて、同じ方向へ先導するわけですね。

一境性

一境性(いっきょうしょう)という要素は、心を対象に集中させるはたらきがあります。

サマタ瞑想(集中の瞑想)を行って色界や無色界への禅定に入るときに、ずば抜けた集中力が必要になります。

その集中力の源になっているのが一境性という心所です。

一境性のエネルギーが高まりやすい条件として、楽(受心所)が関係しています。

例えば、本を読んですごく集中しているとき、楽で軽快な感じがしませんか?

『肩いたいな~』とか『つまんないな~』とか思っているときは、決まって集中できていませんよね。

命根

命根(みょうこん)とは、一緒に生じる心・心所を維持するはたらきの事ですね。

一つ命根を説明した例えがあります。

川に小船があって、船頭さんが乗っています。そこに乗客が乗ってきて、船頭さんは向こう岸まで、乗客を送ります。

ここでいう船頭さんが命根で、乗客が他の心所に例えられています。

ようするに、他の心所がきちんとおのおのの働きを終えるまで、維持してあげるはたらきの事ですね。

作意

作意とは、他の心所を対象に注意を向けさせるみたいな意味です。

まあ見張り役みたいなイメージでしょうか。

『おーいみなさん!こんな情報が来たから処理をよろしくお願いしますね!』みたいに他の心所に注意を呼びかけるはたらきです。

まとめ

7つの共一切心心所を別々に説明してきました。でも実際これらは、同起の法則にしたがって、同時に生まれます。

そして、7つの共一切心心所はすべての心に100%含まれています。ですから本来、別々で解釈する事はできません。

お釈迦様の智慧によって分析されたものなのです。

例えるなら、ミックスジュースのように7つの材料がよーく混ざっていると思ってください。その道によっぽど長けた人じゃないと、何が混ざっているか言いあてるのは難しいですよね。

同じように、私たち一般の人間は心については素人です。なぜなら、心についての特別な教育も、特別なトレーニングも受けてきていないからです。

指導者もいませんでした。

ですから、知識だけでも『こんな要素が含まれているんだ』とご理解いただければと思います。