
通常、人間にはただ生きているだけで有分心という潜在的な心が常に流れています。
しかし、例えば眼に色所縁が現れたときに、有分心はその流れを止めて、色所縁を認識する流れに切り替えます。この時に現れる心の流れが眼門路です。
そして、切り替え作業を担当する心が五門引転心でした。
ここで注意したいのは、心の流れが2つ同時には生まれないことです。あなたが車を運転していて、2つの道を同時に通れないようなものです。
上の図で言うと、途中から青い道と赤い道が2つに分かれていますね。
- 青い道を通れば赤い道は通れません。
- 赤い道を通れば青い道は通れません。
過去有分
上の図をもう一度見て下さい。この図は簡単に言うと、眼で何かを見て『見えた!』と認識する際の心の流れです。まず最初に眼門に色所縁(見える対象)が現れないと絶対に見えませんね。
ここでいう色所縁とは素粒子のような物質の最小単位のことです。私たちが『もの』と認識するものはすべて素粒子の集まりなのです。
そして素粒子一つ一つにも寿命があります。生まれてもすぐに壊れてしまう。
でも、壊れたときのエネルギーによってまたすぐ別の素粒子が生まれる・・・
ということを延々とくり返しています。
私たちはその素粒子の生まれ変わりの流れを、とても大まかに見ているに過ぎないのです。そして、図にある物質の寿命とは一つの素粒子の寿命だとイメージしてください。
さて、そんな物質が眼の前にフッと生まれたとします。
しかし、物質が生まれるときの1心刹那(黄色の部分)は、物質のエネルギーがまだ弱く、眼でまだその物質をとらえることができません。
まるで、目の前に誰かいるけど影が薄くて門番がその存在に気づかないようなものですね。つまり、眼が物質に対応し始めるのは第2心刹那(赤い部分)からなのです。
このように、物質が眼の前に生まれてすぐで、まだ眼門に対象として現れてないときの心を過去有分と言います。
有分動揺
物質が眼の前に生まれ、1心刹那過ぎてようやく心は物質を認識する準備を始めます。これまではずっと有分心の流れが連続していたわけですが、眼で対象をとらえるためには五門引転心によって五門路の流れに切り替えなければいけません。
しかし、いきなり有分心から五門引く転心に切り替わることはできません。準備期間が必要なのですね。
さて、ここで復習ですが、心とは『対象を認識する働き』のことでした。この対象ののことを所縁といいますね。つまり所縁がないと心は生まれないわけです。
これを踏まえて、有分心が私たちの潜在的な心として流れ続けているということは有分心も何か所縁を認識する働きとして生まれているわけです。
有分心の所縁はずばり、業、業相、趣相です(これは詳しくは後でやります)。
しかし五門引転心になると、所縁は対象の物質になるのですね。つまり、とる所縁も変わるので、その時に不安定になって動揺します。その状態が有分動揺です。
有分捨断
- 有分心は所縁として業、業相、趣相をとる。
- 五門引転心は所縁として対象の物質をとる。
このとき有分心はこれまで所縁としていた業、業相、趣相から所縁を物質に変えて五門引転心を生じさせるわけです。
しかし、いきなり切り替えることはできません。走っている人が急に止まろうとしても何歩か出てしまうに、少し準備期間が必要なのです。
この準備期間は2心刹那必要です。
- 最初の心刹那が有分動揺
- 次の心刹那が有分捨断
五門引転心
有分捨断で、有分心が遮断された後に五門引転心が生まれます。五門引転心のはたらきは、有分心の流れから五門路の流れへ心の流れを切り替える働きがあります。
まるで、レバーでガッチャンと電車の方向性を切り替えるようなイメージですね。五門引転心のはたらきによって五門路の流れに入ります。
眼識(耳色、鼻識、舌識、身識)
五門引転心の後にようやく5つの感覚器官に所縁が触れたという情報を認識します。しかし、このときはまだ何かが『触れた』という情報だけで、それが何かは全く分かりません。あくまで5つの感覚器官で『触れた』という情報を感知するだけです。
領受心
5つの感覚器官で感知した情報は、次に心基に送られて、そこで情報を受け取ります。この心基で情報を受け取る働きをするのが領受心です。ちなみに
- 眼識が生まれる場所が眼基
- 耳識が生まれる場所が耳基
- 鼻識が生まれる場所が鼻基
- 舌識が生まれる場所が舌基
- 身識が生まれる場所が身基
心基の説明は注釈書には『心臓の中にある物質』というような説明がありますが、現代的に考えると『心基=脳』と解釈するのがスマートでしょう。
分かりやすく言うと、
- 眼で情報を感知するはたらきが眼識
- その情報を脳で受け取るはたらきが領受心
領受のはたらきをする心はもちろん
- 無因不善異熟・領受心1
- 無因善異熟・領受心1
推度心
領受心が受け取った情報に対して、『これ何だろうな??』と調べる調査員が登場します。この調査員が推度心です。推度心は次の3種類です。
- 無因不善異熟・捨倶・推度心
- 無因善異熟・捨倶・推度心
- 無因善異熟・喜倶・推度心
確定心
推度心が調べた情報に対して、『これは○○である!』と、確定させるはたらきをするのが確定心です。確定のはたらきを担当するのが、意門引転心 の一つだけですね。
欲界速行
確定した情報に対して、エネルギーが一気にふき出す様に速行心が7回生まれます。例えるなら、裁判官がハンコをぽんと押したとたん(確定心)に、7人の死刑執行部隊が死刑を執行する(速行)ようなイメージです。
ここで、おさらいですが、五門路は五つの感覚器官に依存して生まれる心の流れです。つまりこれは欲界の心の流れを意味しています。ですから、速行のはたらきをするのも欲界心です。
- 不善心12
- 大善心8
- 大唯作心8(阿羅漢のみ)
- 笑起心1(阿羅漢のみ)
- 不善心12
- 大善心8
例えば、
ミミズを見て『気持ち悪い』と思ったときは、速行のはたらきをしているのは不善の瞋根心ですね。
ケーキを見て『おいしそう!』と思ったときは、速行のはたらきをしているのは不善の貪根心になります。
つまり、単に感情的に反応した場合はたいてい速行は不善心になってしまうのですね。
ではどうしたら大善心を起こすことができるか?
それには、如理作意が必要です。如理作意とはものごとの道理を理性的によく考えることです。
例えば、ケーキを見ても
『確かにおいしいかもしれない。でも一時の感情でケーキを貪ったところで何になるだろう。だから今の自分の体に必要な分だけ取り入れて、今日一日のエネルギーにしよう!』
と、理性的に考えることで、不善心の発生を防ぐことができます。
彼所縁
彼所縁とは速行にしたがって、速行と同じ所縁をもう一度とるはたらきをします。速行のアフターフォローのようなイメージで、最後に2心刹那分生まれます。これはあくまで私見ですが、次のようなイメージだと私は解釈しています。
- 裁判で判決のハンコを押す(確定心)
- 死刑を執行する(速行)
- 執行後の後片付けする(彼所縁)
彼所縁のはたらきをするのは
- 無因不善異熟・推度心1(捨倶)
- 無因善異熟・推度心2(捨倶、喜倶)
- 大異熟心8
有分に堕ちる
彼所縁が2心刹那生まれた後は、また有分心の流れに戻ります。これを有分に堕ちると言います。いわゆる、
- 有分心の流れは潜在意識の流れ
- 五門路の流れは顕在意識の流れ
所縁である物質の寿命が尽きると、それにともなって五門路の流れも終了し、有分心の流れに戻るわけですね。
私たちはこの反応を
- 眼であれば色所縁
- 耳であれば声所縁
- 鼻であれば香所縁
- 舌であれば味所縁
- 身であれば触所縁
ちなみに、もう一度おさらいですが、図に『物質の寿命』とありますが、ここでいう物質とは物質の最小単位のことです。現代的には素粒子というイメージになるでしょう。
つまり、色所縁、声所縁、香所縁、味所縁、触所縁のすべてがもとを正せばすべて素粒子からできていますから、図でいう『物質』だと考えて問題ありません。
まとめ

五門路は図の赤線の部分のことでした。
これを踏まえてまとめます。
- 五門引転心・・・1心刹那
- 五識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識)・・・1心刹那
- 領受心・・・1心刹那
- 推度心・・・1心刹那
- 確定心・・・1心刹那
- 速行心・・・7心刹那
- 被所縁・・・2心刹那
また、五門は欲界の生命にしか存在しないので、五門路に生まれる心も必然的に欲界心54になります。