預流果の時点ではもう、すでに三結、つまり
- 有身見
- 疑
- 戒禁取
引き抜かれたタンポポからは、もう二度と新しいタンポポが生まれないように。
上の3つは煩悩ですから、不善心の要素になっています。
もう一度不善心を見てみましょう。
- 貪根心
- 喜倶・悪見相応・無行
- 喜倶・悪見相応・有行
- 喜倶・悪見不相応・無行
- 喜倶・悪見不相応・有行
- 捨倶・悪見相応・無行
- 捨倶・悪見相応・有行
- 捨倶・悪見不相応・無行
- 捨倶・悪見不相応・有行
- 瞋根心
- 憂倶・瞋恚相応・無行
- 憂倶・瞋恚相応・有行
- 痴根心
- 捨倶・疑相応
- 捨倶・掉挙(じょうこ)相応
つまり、悪見相応とは間違った見解があるという意味で、有身見と戒禁取の事をさしています。
疑相応には、言葉のとおり疑が対応しています。つまり、預流果に悟った人でも不善心は生じます。
ただ、そのエネルギーはとても弱く、かつ上の赤字以外の7つの不善心しか生じないという事ですね。
特徴
預流果に悟るという事は、悟りのベルトコンベアにのったようなものです。煩悩は残っていますが、心が悟りへ向いているので、自動的に阿羅漢へ向かいます。また、預流果の人は以後7回までしか生まれ変わりません。なぜならその間に悟りがすすんで、阿羅漢になるからです。
また生まれ変わる場所も、人間界か天界(両方とも欲界)などの悟りの修行に適した場所に生まれ変わります。もちろん地獄界などの低次元な場所とはもう無縁です。
預流果は体験的に万物の無常を理解していますが、それでも煩悩はまだ残っています。まわりの刺激によって、貪根心や瞋根心が生まれることもあるわけです。
ただ、人を殺したいという感情や、因果法則を否定したりという無知な心はもう生まれる事はありません。