出世間心

さて、心の最後の分類になります。

出世間をそのまま訳すと、世間を出るとなります。

ここで言う世間とは、生命の次元みたいな意味です。つまり、生命の次元を抜け出るという意味になります。

まとめると、出世間心とは輪廻転生を抜け出る心=悟りの心という事です。

これまで、欲界、色界、無色界の心に触れてきました。

無色界心はレベルの高い心ですが、それでも業(よい業ですが)をつくり、死ぬとまた輪廻転生をくり返します。

仏教では、生きる事は苦しみであると説明しています。なぜなら、思い通りにならないからです。

具体的に次のような8つの苦しみがあると説いています。
  • 生・・・生まれること
  • 老・・・老いること
  • 病・・・病気になること
  • 死・・・死ぬこと
  • 愛別離苦・・・愛するものとの別れ
  • 怨憎会苦・・・嫌なものとの出会い
  • 求不得苦・・・求めても得られないこと
  • 五取蘊苦・・・ようするに執着はすべて苦
私たちの悩みは必ずこのどれかに分類されます。

そして、これらは生きている限り必ずついて回る苦しみなのです。私たちは何とかこれらから逃れたいのです。

だからアンチエイジングがはやったり、病院はいつまでも大盛況なのですね。

でも、そうやって必死にもがいても、生きている限り8つの苦しみからは逃れる事はできません。

なぜなら、生命は生きている限り業をつくり、その業が原因でまた生まれ、生まれ変わりの無限ループからは抜け出せないからです。

そこでお釈迦様が見つけた解決策が、生命をのりこえること、つまり悟りでした。

まとめると
  • 欲界、色界、無色界の心は生命の心
  • 出世間心は生命をのりこえた心
という位置づけになります。

道心

出世間心(悟りの心)には、道心、果心の2種類あります。

果とは結果のことであり、道とはそこへいたる道という意味です。

道をもう少し説明しますと、煩悩を取り除くはたらきという意味があります。

例えば、一本のタンポポをイメージしてください。

花が咲き、綿毛になり、種を飛ばし、また新しいタンポポが生まれます。でも、もし綿毛になる前に抜いてしまったらどうなるでしょう?

もちろん次のタンポポは生えてきませんね。

同じように、煩悩を根こそぎ取り除くのが道心であり、道心は引き抜く一瞬しか生まれないのが特徴です。

道心にはつぎの8つの要素が対応しています。
  • 正見・・・正しい思い込み(智慧のこと)
  • 正思惟・・・正しい思考
  • 正語・・・正しい言葉
  • 正業・・・正しいふるまい
  • 正命・・・正しい仕事
  • 正精進・・・正しい努力
  • 正念・・・正しい気づき
  • 正定・・・正しい集中
これらは、すべて心所(心の要素)であり、これら8つを八正道といいます。

補足ですが、八正道にも2種類あります。
  • 私たち一般の人が起こす八正道
  • 悟りにいたる聖八正道
ですね。

私たちは、『正しく考えよう』とか『正しい言葉を使おう』とか努力します。これも、もちろん素晴らしいことですし八正道に違いはありません。

しかし、だからと言って悟れるわけではないのです。

悟るためには聖八正道が必要です。

聖八正道が生まれている修行者には、もはや『正しく考えよう』とか『正しい言葉を使おう』とかいうエネルギーすら存在しなくなっています。

あたり前のように正しい言葉を使い、あたり前のように正しい努力をするわけですね。つまり、8つに反することをしようという気持ちすら起こらない状態なのです。

でも私たちはつい8つに反する事をしてしまいますね^^;

とはいえ、八正道は人生を大きく向上してくれることに間違いはありませんから、取り組むことにはとても意味があります。

果心

果心とは、煩悩が取り除かれた後の状態を体験するというようなはたらきです。

果心は、道心の結果の心でもありますから、
  • 道心は善心
  • 果心は異熟心
という表現も間違いではありません。

果心は煩悩が取り除かれた後の状態を体験するはたらきですから一瞬ではありません。

例えばタンポポを引き抜くのは一瞬ですが、引き抜いた後の状態はずっと続きますよね!?

同じように、果心も瞑想を行うことで長く体験する事ができます。

さて、ここで『悟った人はずっと出世間心がはたらいているの?』という疑問がわきますね?

実は、出世間心が生まれるのは悟りの瞑想(ヴィパッサナー瞑想)をしているときだけなのです。

悟った人も通常は大善心で生きています。(最高に悟った人は唯作心ですが)

なぜなら、悟った人も人間としての体がある以上、ご飯を食べたり、寝たり、人に説法した入りするわけですね。

つまり日常生活では五感をたよりにしないといけないわけです。そのときは大善心がはたらいています。

悟りの段階

悟りにも段階があります。

次の4段階です。
  1. 預流
  2. 一来
  3. 不還
  4. 阿羅漢
預流から順番に阿羅漢までレベルが上がっていくイメージですね。

そして、レベルが上がるたびに、煩悩をザクザク取り除いていき、最後の阿羅漢ではすべての煩悩が取り除かれます。

ここで言う煩悩とは不善心の要素のことだと思っていただければ結構です。

流れで言うと

預流道 → 預流果 → 一来道 → 一来果 → ・・・

という風な感じですね。詳しくは後ほどご説明します。

ヴィパッサナー瞑想

出世間心をつくるためには特別なトレーニング(瞑想)が必要になります。

その瞑想がヴィパッサナー瞑想です。

観察瞑想とか気づきの瞑想とか表現される場合もありますが、とにかく一瞬一瞬の身体や心の状態を観察するわけです。

まるで体が自分とは関係ない一つの物体だとしたときに(実際そうなのですが)、そこに起こる変化をつぶさに観察していきます。

方法は主に3つで、
  • 座る
  • 立つ
  • 歩く
があります。

座る瞑想だと、座禅を組み身体を静止させて、息の出入りを観察します。

例えば、

ふくらみ、ふくらみ、縮み、縮み、ふくらみ、縮み、縮み、ふくらみ・・・・

のようなイメージですね。起こっていることあるがままを実況中継します。詳しくはまた別でご説明します。