つまり、名が名に対しての縁とは、心や心所が、次に生じる心や心所の縁になっているという意味です。
具体的に、名が名に対しての縁は次の6種類あります。
- 無間縁
- 極無間縁
- 非有縁
- 離去縁
- 習行縁
- 相応縁
無間縁
阿羅漢の死心以外のすべての心89とそれに相応する心所52が無間縁となって、次の心を生じさせます。次の心とは阿羅漢の死心を含むすべての心89とそれに相応する心所52のことであり、無間縁によって生じた次の心を無間縁所生と言います。
具体的に説明しますね。例えば、五門路を例に出しましょう。

五門路においては、「五門引転心 → 眼識 → 領受心 → 推度心 → ・・・」という風に心が次々生まれては滅していきます。
このとき、
- 五門引転心が無間縁となって、眼識という無間縁所生を生じさせ
- 眼識が無間縁となって、領受心という無間縁所生を生じさせ・・・
極無間縁
表現が違いますが、内容は無間縁と同じです。そもそも無間縁とは「間が無くはたらく縁」という意味です。例えば、ミカンを2つイメージしてください。
2つのミカンをどれだけくっつけても、顕微鏡レベルでみると必ず隙間(分断色)が生まれてしまいます。その隙間のおかげで、ミカンを1個2個と数えられるわけです。
でも、波の場合はどうでしょうか?
「ここからここまでを1つの波」という風に分けることはできませんね。なぜなら、波と波には明確な間がなく常に連続しているからです。
さらに、一つの波は次の波にエネルギーを与えています。例えば海の中で一つ大きな波をつくると、その次の波も大きな波になります。
同じように、心に具体的な形もなく明確に分けることはできないため、ある心と次の心とは間無くつながっている状態になります。
非有縁
炎をイメージして下さい。炎が消えると同時に闇が生じますね。同じように自身がなくなることをによって、別の心や心所を生じさせる縁を非有縁といいます。非有縁の縁所生となるものは、すべての心89とそれに相応する心所52です。
離去縁
これは非有縁と同じものです。太陽をイメージしてください。日中は太陽が照っていて、月を見ることはできません。でも、太陽が沈むと、とたんに月が輝き始めますね。
同じように自身がなくなることで、次の心や心所を生じさせる縁を離去縁といいます。離去縁の縁所生となるものは、すべての心89とそれに相応する心所52です。
習行縁
習行縁とは同じ心や心所を繰り返し生じさせる縁のことです。具体的に、この習行縁がはたらくのは速行心が生じる箇所です。また五門路を例にあげてみましょう。
これを見ると速行が7回連続していますね。
- 1番目の速行が習行縁としてはたらいて、2番目の速行が習行縁所生として生じます。
- 2番目の速行が習行縁としてはたらいて、3番目の速行が習行縁所生として生じます。
- 3番目の速行が習行縁としてはたらいて、4番目の速行が習行縁所生として生じます。
- 4番目の速行が習行縁としてはたらいて、5番目の速行が習行縁所生として生じます。
- 5番目の速行が習行縁としてはたらいて、6番目の速行が習行縁所生として生じます。
- 6番目の速行が習行縁としてはたらいて、7番目の速行が習行縁所生として生じます。
習行縁となる心
また、習行縁となりえるのは、道心・果心を除いた速行心47とそれに相応する心所52です。道心は1心刹那しか生じず、道心が続けて生じることはないので習行縁にはなりえません。また果心は道心の異熟心であり、次に縁を及ぼすはたらきがないので習行縁から省きます。
習行縁所生となる心
習行縁となりえるのは、果心を除いた速行心51とそれに相応する心所52です。道心は連続して生じないため、習行縁としてのはたらきはありませんが、習行縁によって生じる縁所生としては生じる可能性があります。
例えば預流道に悟る遅通達者の路の場合次のようになります。
- 有分
- 有分動揺
- 有分捨断
- 意門引転心
- 遍作(近行定)
- 近行(近行定)
- 随順(近行定)
- 種姓(近行定)
- 道(安止定)
- 果(安止定)
- 果(安止定)
- 有分
- 遍作が習行縁としてはたらいて、近行が習行縁所生として生じます。
- 近行が習行縁としてはたらいて、随順が習行縁所生として生じます。
- 随順が習行縁としてはたらいて、種姓が習行縁所生として生じます。
- 種姓が習行縁としてはたらいて、道が習行縁所生として生じます。
相応縁
お互いに影響を及ぼしあっている縁のことを相応縁と言います。具体的には、心89とそれに相応する心所52です。これらは、五蘊にならって以下の四つの名蘊に分類できます。- 受蘊(受心所)
- 想蘊(想心所)
- 行蘊(思心所をリーダーとするその他心所50)
- 識蘊(心89)
- 同起
- 同滅
- 同所縁
- 同基
例えば、バター・はちみつ・砂糖・油をしっかり混ぜておいしいお菓子を作るとします。このとき、それぞれの味を明確に分けることはできませんね。それぞれの味が影響し合って、独特の風味を醸し出します。
同じように、心と心所も、「これは識蘊による」とか「これは受蘊による」とか明確に分けられないほどに微妙に関係しあっています。
相応蘊の場合、例えば識蘊が縁となるとき、受蘊・想蘊・行蘊が縁所生となるように、何かが縁となればその他が縁所生となります。