煩悩がなくなるという事は、阿羅漢の人が瞑想から出て、日常生活をおくったとしても不善心はもう生まれようがないという事です。
例えば、一度ストーブで火傷したことがある人なら、もう二度と「ストーブを触ってみよう」とは思わないはずです。むしろ、ストーブを見たとたん「危険!」と思うはずです。
でも、子供はそんなこと知りませんから、平気でストーブを触って火傷するのです。
同じように、阿羅漢は不善心で生きることがいかに自滅行為であるかを体験的に理解しています。だから、もう絶対に不善心は生まれません。
さらに、阿羅漢果になると、これまで生まれていた
- 大善心
- 色界善心
- 無色界善心
- 大唯作心
- 色界唯作心
- 無色界唯作心
涅槃こそが仏教がめざすゴールであり、究極の幸福であると締めくくられます。