私たちが普段、笑ったり、怒ったり、喜んだり、考えたり、しているすべての行動は将来、何かしらの結果をもたらします。
なぜなら私たちが普段つくる心には、次に結果をつくる種が含まれているからです。
この結果をつくるタネを業(カルマ)といいます。まあ、イメージで言うと種みたいなものですね。
いい心にも悪い心にもほぼすべての心に業は含まれています。
という事は、私たちはただ生きているだけで、ちょっと考え事しただけでも、無数の業をつくりながら生きている事になります。
仏教的に言うと、私たちが生まれてくるのも、この業が原因になっているわけですね。(輪廻転生)
さて、悟りには4段階あります。
最高にまで悟った人は、生まれと死のサイクルから抜け出ます。つまり、次に生まれ変わる原因となるような業をつくらないのですね。
ですから、私たち一般の人間とは違う心で生きている事になります。その最高に悟った人の普段の心が大唯作心と呼ばれています。
大唯作心も、これまでと同じように3パターンで8種類に分けられます。
3パターンの分け方
例によって、3パターンで分けられます。- 喜びのあるなしで分ける(喜倶・捨倶)
- 智慧のあるなしで分ける(智相応・智不相応)
- 意志の強さで分ける(無行・有行)
- 大唯作心・喜倶・智相応・無行
- 大唯作心・喜倶・智相応・有行
- 大唯作心・捨倶・智相応・無行
- 大唯作心・捨倶・智相応・有行
- 大唯作心・喜倶・智不相応・無行
- 大唯作心・喜倶・智不相応・有行
- 大唯作心・捨倶・智不相応・無行
- 大唯作心・捨倶・智不相応・有行
ただ、阿羅漢と言えども、絶え間なく智慧をはたらかせて生きているわけではないという事なのでしょう。
例えば、車の運転でも最初のころは、一つ一つ確認しながら頭を働かせて運転しますね。
でも、慣れてくると、自動反応のように運転するようになります。
阿羅漢は善行為に慣れきっていますので、生きているだけで当たり前のように善行為をするわけですね。
このように、慣れで善行為をするときの心が智不相応だと説明される事もあります。