大善心の逆は、前にも出てきた不善心ですね。
大というのは、単に数が多いというくらいの意味で、深い意味はありません^^;単に、『善心』と書くと他の表現とごっちゃになるので、区別するためにそうしているのでしょう。
この大善心は私たちも普段感じています。
例えば
- お年寄りに席をゆずって上げる
- 友達に誕生日プレゼントを渡す
- 親孝行で親を旅行につれてってあげる
- 友達の協力に心から感謝する
- 病気の人を助けるために調べ物をする
もし、自分の高感度をあげるためにお年寄りに席をゆずったとしたら、それは貪根心で行動した事になります。
大事なのは、何をするかではなく、どんな心で行動するかです。
さて、大善心は不善心と同じように3パターンの分け方があります。
- 喜びがあるかないかで分ける
- 意志が強いか弱いかで分ける
- 知恵がともなうかともなわないかで分ける
喜びの有無でわける
- 喜びがある場合、喜倶
- 喜びがない場合、捨倶
例えば、人の苦しみを救うために心理学の勉強をするとします。
そのときに、『ああ理解できて楽しいな~』と感じたなら、喜倶ですね。ただ、平常心でたんたんと勉強にはげむとしたら、捨倶になります。
ちなみに大善心はいい心なので、苦しみはともなう事がありません。
意志の強さでわける
- 意志の強い場合を、無行
- 意志の弱い場合を、有行
無行・有行は不善のところでもやりましたね。他からの働きかけがなく自発的にやる場合(無行)は、意志が強いわけです。
例えば、心理学の勉強をする場合、
- 『人を救うために誰がなんと言おうと勉強するぞ』という場合は無行
- 『まあ友達に誘われたから勉強会に出てみるか』という場合は有行
智慧のあるなしで分ける
- 智慧がある場合は、智相応
- 智慧がない場合は、智不相応
ここで智(ち)というのは智慧の事で、痴(ち)と書くと逆の無知という意味になるのでお気をつけて^^;
また心理学の勉強をする例で確かめてみましょう。
- 世の中に苦しんでいる人がたくさんいる
- その人たちがどんな事で苦しんでいるか?
- その人たちを救うために心理学をどのように活用できるか?
- その活動は自分にどのような幸せをもたらしてくれるか?
逆に、『よく分かんないけど、何となく世の中のためになりそうだし』という理由で心理学を勉強するなら智不相応という分類になります。
まとめ
大善心は、3パターンでそれぞれ2つずつに分けれましたので、2×2×2=8つの大善心があります。- 大善心・喜倶・智相応・無行
- 大善心・喜倶・智相応・有行
- 大善心・捨倶・智相応・無行
- 大善心・捨倶・智相応・有行
- 大善心・喜倶・智不相応・無行
- 大善心・喜倶・智不相応・有行
- 大善心・捨倶・智不相応・無行
- 大善心・捨倶・智不相応・有行